自身に向けられた愛と眼差し

人生をある期間生きていれば、
誰しも多かれ少なかれ何かあるわけで、

何をやってもうまくいくときもあれば、
やることなすことが裏目に出るときも
あったりします。

中には、
私の人生、谷ばっかりです。
山って何!?
って方もあるかもしれませんが、

山の時には山でしか、谷の時には谷でしか
体験できない学びがあるものです。

多くの人が山のてっぺんを目指しますが、
谷での学びも、心に染み入るような
味わい深いものがあるな、と思います。

最近ふと、かつてお世話になった人が
私に注いでくれたまなざしに
気づくことがありました。

具体的にいつの、どんな体験だったかは
覚えていないのですが、確かに
その温かなまなざしが注がれていたのだ
という感覚だけはあるのです。

それに気づいたのは、
短い期間だけ関わった若いクライアントさん
との出来事からでした。

その方は、多分あまり私の言葉や
働きかけの意味を理解しなかっただろうな、
と感じたのですが、

その方の中に眠る可能性の種に向けて、
私はその時自分にできる限りのことを
させていただきました。

今は、何ら変化の兆しも見せないけれど、
時が満ちて種が芽吹き、成長して
花を咲かせ、実をつけるそのときの
栄養となるように、

そのみずみずしい若木のために、
命の光を注ぎました。

その後その方がどうなったかは
わからないのですが、ふと思い出して
元気でいらっしゃるかな~?
と思ったときに、はたと気づいたのです。

私にもかつて、そんな風にして
未来の私のために、命を注いでくれた
たくさんの人たちのまなざしが
あったことを。

その時の私はまだ未熟すぎて、
その人たちがどんなに大切なものを、
右も左もわからない私に惜しげなく
与えてくれたか、まったく理解して
いませんでした。

それでも、そんなことにはお構いなしに、
彼らは私の未来だけを見て、
深い愛を注いでくれていたのでした。

長い魂の歩みの中で、
私はどれだけそうした人たちの
温かなまなざしを受けてきたんだろう。。。

そして、どれだけそれを
粗末にしてきただろう。

そんな思いがよぎりました。

ようやくそのことに気づいた今、
彼らの注いでくれた命が、未熟ながらも
自分の中に確かに生きていることを
感じたのです。

何も、無駄になったものは無いんですね。

受け取られず、流れていってしまった
ように見えて、どこかでちゃんと受け取られ
時が来るまで大切にしまわれている
ものなのかもしれません。

実は、このことに気づかせてくれた
もう一人のクライアントさんがいます。

その方は、色々な出来事の中で、とても
理不尽な思いをされたのですが、深く自分に
向き合う中で、「相手を許そう」と
思われました。

通常、感情解放のワークでは、
許そうと思って許す、ということはしません。

必ず被害者、加害者の痛みを受け止めたうえで
和解するというのが通常のセオリーです。

けれどこの方の場合は、そういうプロセスを
すっ飛ばして、まったく恨みというものが
ありませんでした。

どこにも、頭で納得させて収めた恨みの
エネルギーが残っておらず、むしろ
すがすがしい安らぎすら感じられたのです。

私はどうしてそんな風に許せたのだろうと
不思議だったので、話を伺ってみると、
その方は

「私もかつて、誰かからそんな風に
許されているかもしれない。
だから私も相手を許そうと思う」

と言われたのです。

それを聞いて、私は「あぁそうだったのか」
と深く納得しました。

受けた恩を未来にリレーする、
みたいなことなんでしょう。

「徳を積む」というのは、
こういうことなのかな、と思いました。

その方は、そういう徳を積むだけの徳性が
既に十分に育っていたからこそ、
そんな風に無理なく思えたのでしょうね。

それだけの感性を得るまでに、
その方の魂は一体どれだけの道のりを歩んで
来られたのでしょうか。

自分とはまるで別次元の人だ、
と遠く切り離すのではなく、
その方の魂がたどった道のりを
リスペクトしたいと思うのです。

もうお一人、許しについて思い浮かぶ人がいます。

それは美智子皇后なのですが、
以前何かの番組で知った話です。

皇太子妃だった当時、美智子妃は皇室の中で
かなりいじめられたというイメージが
色々なマスコミの報道であるように思います。

そのことについて、かつて内親王だった
紀宮さま(黒田清子さん)が聞いたことが
あったそうです。

すると美智子妃は、
「私は、私の至らなさを多くの方に
許してもらっているのよ」
とお答えになられたそうです。

とても印象的な話だったので
覚えているのですが、ひょっとしたら
正確ではなかったかもしれません。
その時はどうかご容赦を!

自分を卑下することなく、
「許してもらっている」ということを
受け取るには、

許してくれた人の中に
自分に注がれている愛を見なければ
できないことだろうな、と思うのです。

愛を注ぐ人と愛を受け取る人、
そして未来へ向けたまなざしと
それに気づく目。

色々あるけれど、
やっぱり人間って素敵だな、と思うのでした。

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