「戒め」の構造と解放

近頃、本当に有り難いことなのですが、こんな私でも人様から褒めていただくことが幾度がありました。とても嬉しい反面、内心は「いやいや、ちょっと褒めてもらえたからと言って調子に乗ってはいけない」と、自分を戒める思いがその評価と喜びをぺしっと潰して、素直に喜べない自分がいます。

昔から、褒められるのは嬉しいけれど、実際にそうされるとどう反応したらいいのか戸惑ってしまう自分がまだいました。(^^;

ここで私が気になっているのは、そういう反応の仕方のことではなく、「自分を戒めている」という部分で、この「戒め」というのは、感情解放のワークでもちょっとした鍵になる部分なのです。

なぜこれがカギなのかということを構造的に解説すると、こうなります。

「戒め」というのは「そうならないようにしよう」と注意することですが、そう思えば思うほどに、実はその避けようとしていることを実現してしまうという法則があります。

それが、「拒絶したものは受容されるまで繰り返し差し戻される」という法則で、まさに「戒め」はこの法則に逆らってどうにかしようとする私たちの努力なのです。

けれどその努力も、法則の前には虚しく破られざるを得ません。

つまり、私は「褒められたからと言って、調子に乗らないように注意しよう」とすればするほど、必ず調子に乗って何か失態をしてしまうことになるわけです。

その失態とは何なのか。自身の感覚を掘り下げていくと、たとえば、一人舞い上がって場にそぐわない言動をして恥ずかしい思いをするとか、人の気持ちを考えずに誰かを傷つけてしまうとか、井の中の蛙が天狗になって、大海のクジラを見て打ちのめされるとか、たくさん出てきました。

きっと私はこれ全部を体験しているのでしょう。

これらの体験で経験したのは、恥の感覚、人を傷つけた気まずさ、打ちのめされたショックなどの感情や感覚です。褒められるたびに私の中ではこうしたものがトリガーされるので、「そうならないように」一生懸命自分を戒めていたわけです。

それらを受け止めてみた後もなお、「調子の乗ると足元をすくわれる」という思いが残っていて、これを掘り下げていくと、「油断させられて、隙を突かれる(大切なものを奪われる)」というストーリーが出てきました。だからどうしてもリラックスして評価を受け取れなかったのですね。

私は昔から、どうもわきが甘いところがあって、調子に乗って後で「しまった!」と思うことが多かったのですが、その理由も納得でした。

喜んでいいはずの出来事で手痛い目に遭っているので、ガッチリと喜びの感覚にもブロックが入ってしまっていましたし、変に人からの評価も信用できずにいるという、こうした状況を解いていくには、痛みの感情や感覚を受け止めていくところから始めます。

大切なものを奪われたショックや悲しみ、焦燥感などを身体で捉えていくと、足が震えて感覚がほぼない状態だったので、まず命の呼吸で意識をしっかりと体に戻していきました。

とても大きな感情を体験すると、私たちはしばしば意識が身体から吹き飛んでしまって、抜けている状態になります。ワークで感情のエネルギーを受け止めていく時は、飛んでしまっている意識を身体の中に戻して、体感覚がしっかりと取れるようにすることが大切なのです。

こうして意識を身体に戻していくと、左ひざから下が力が入らない状態になっていました。以前にもこの感覚は他のワークをしていた時に出てきたことがあり、どうやらこれは「喪失の痛み」と関連した感覚のようでした。

じっとそれを感じて行くと、「あるはずのものがない」悲しみ、惨めさ、情けなさ口惜しさなどがないまぜになった気持ちが、その感覚から湧き出てきました。

肉体的にもその感情を受け止めるのはそれなりに痛みを伴うものでしたが、主に身体の左半分の様々なところで感じられました。しばらくそうしていると、大分抜けて行って落ち着いてきました。

そこでもう一度「褒められる」ところに戻ってどう感じるかをチェックしてみます。最初の時よりは受け止められる気がしましたが、まだ奥の方に「失うことへの恐れ」が根強く残っていたので、再度これを迎えに行きます。

このようにして、ワークではある程度進捗したところで最初に戻って、どう感じるか?と確認しながら、取り残しがないか、どれくらい解放できたのかをチェックします。

この最終チェックをうっかり忘れてしまう方も多いようですが、これをしないと、自分のワークが本当にきちんと解放できているのか居ないのかが判断できないので、自身のワークをどう受け止めたらいいのか分からないままに彷徨ってしまうでしょう。

また、自分の感情感覚を受け止めるだけではなく、ストーリーの中で出てきた相手の意識の中に入ってみて、相手の中の痛みを受け止めることも大切なポイントです。こうすることで、自分の中だけでは気づけない痛みも残さず拾うことができます。

そして、加害者・被害者の二元性を完結することができ、このストーリーによって差し出されたテーマを卒業することができます。これ故、ワークでは自分の中で受け止めただけでは、まだ不完全なのです。

私のストーリーで相手の中に入って見たときに感じたのは、「無い」ことの痛みでした。これは確かに私の中にもあるもので、固く凍り付いたその痛みに命を送って行きました。

痛みが癒えていくにしたがって、私の中のストーリーは変化し、私は「奪われない人」になっていました。

癒しと変容は、このようにして進んでいきます。

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