憎しみの癒しと奇跡

年を取ったせいか(笑)、
最近、本当に有り難いと思うことが
増えてきました。

まだまだ未熟者ゆえ、
些細なことで「チッ!」と思ったり
引っ掛かったりすることも
多いのですが、

それでも日常のベースに
自然に温かな感謝の思いが自分の内から
溢れてくるのを感じられるように
なってきました。

このこと自体、
毒を吐きまくっていた頃の自分を思えば
「有り得ない奇跡」だと思うのです。

以前はハートが固く閉じていて、
何人かのヒーラー仲間にリーデイィングを
してもらったときに、

「鉄板みたいなのが」が入っていると
同じことを言われていました。

だから、愛という概念は分けるけれど、
愛というものがどうしても感じられなくて
たくさんたくさんハートのワークや
ヒーリングもしてきました。

それでも固く閉ざしたハートの「鉄板」は
相変わらず鎮座ましまし、消えることは
ありませんでした。

これが溶け出してきた手ごたえを感じたのは
感情解放のワークをかなり続けてきて、

両親やこれまで関わってきた様々人への
怒りや憎しみが大分クリアになってきてから
だと思います。

そして決定的だったのは、
最後まで残っていた「神への怒りと憎しみ」
が癒えていった辺りからです。

別段信仰を持っていない人でも、
これを持っている人は結構いる、というか
ほとんどの人が多かれ少なかれ
持っているものではないかと思います。

逆に言えば、深く神を信仰した人生の記憶を
魂に持っている人の方が、この怒りと憎しみを
持っていることが多いです。

なぜかと言えば、
それほど神に触れたことのない人が
そこまで強烈な感情を抱く理由はありません。

深く信じたものに裏切られたと感じたり、
信じた故に悲惨な体験をしたからこそ、
そこまでの怒りと憎しみを抱くわけです。

だから今世では、敢えて信仰やスピリチュアルな
ものには近づかない、という選択をしている人が
実は少なくありません。

本当は今世、ライトワーカーとして活躍しようと
決めてきているのに、こうした記憶が
引っ掛かってブレーキをかけてしまうという
方がたくさんいらっしゃるのですね。

こういう傷を癒していこうとするときは、
ささっと愛を送って手っ取り早くきれいに済ませる
なんてことは、できないだろうな~と
個人的には思うのです。

(いろいろな考え方があるので、
違う意見をお持ちの方を否定するわけでは
ありません)

だって、心の奥底にドロドロの憎しみや
怒りが煮えたぎっているわけですから、

それを本人が認めず、受け止めずに
「私は愛を生きます」なんて言っても、
嘘だと思うのです。

本人が全部認めて出さないと、
いつまでも傷は膿んで痛みは続きます。

ここでも
拒絶したものは受容されるまで
繰り返し差し戻される
という法則が生きているわけですね。

私は、この神への怒りと憎しみが自分の中に
あることは随分前から気付いていて、
自分でもかなりワークしてきました。

にもかかわらず、「決して許すまじ!」
という思いがどうやっても残っていましたし、

愛というものがとても大切なもので、
必要不可欠な魂の栄養なのだとわかっていても
どうしてもそれを受け入れることが
できませんでした。

愛を受け取ろうとすると、
激しい吐き気がしてアレルギー反応を
起こすような感じになってしまうのです。

それでも、心身の拒絶反応を受け止めながら、
私は愛を受け取る、と決めてワークし続けていた
ある日、突然癒しはやってきました。

大きな洞窟の中のようなところで、
仲間と一緒に十字架に貼り付けになって
死んでいこうとしている過去世のビジョンで、
私は激しく神を呪い、憎んでいました。

そこに、上から白い光が射してきて、
その怒りと憎しみがみるみる消えていくのを
感じたのです。

自分ではどうやっても癒すことのできなかった
深い痛みが、癒えていきました。

明らかに自分の力ではなかったので、
これは恩寵だと思いました。

私にとってはこの出来事は奇跡でしたが、
これだけで完全に癒えたわけでもなく、
その後もプロセスは続いていきます。

今年4月のレナードのリトリートで、
彼は私の中にまだ残っていた憎しみを
容赦なく引き出してくれました。

「神はた容易く私を見捨てる」と訴える私に
「その通りだ」といともあっさり答えた
彼の言葉は、深く私の心をえぐりました。

彼を通して神を見ている私に、
彼は「私を憎みなさい」と言いました。

つまり、彼は私の中に抑圧された
神への憎しみを引き出そうとしたわけです。

思い返せば、彼は何年にもわたって
私の憎しみを引き出すアプローチを繰り返し
してきていました。

けれど、私はそれに応える準備ができて
いませんでした。

そして今年、やっとそれができたわけです。

結構な心の外科手術ですね。

めちゃめちゃ痛いし辛いし苦しいし、
でも通過せずに済ませることはできない
プロセス。

リトリート後も、しばらくこのプロセスは
続いたのですが、

奇跡的なことが起これば、
いっぺんにすべては終わってしまう、
というのは思い込みです。

もちろん、
そういうこともあるでしょうが、
そうではないことの方が多いと思います。

けれど、そのすべての歩みが
奇跡なのです。

一歩一歩の出来事を踏みしめながら、
自分の中で何かが再生され、
揺るぎないものになっていく。

大切なことは、目の覚めるような
奇跡的なことの中にあるのではなく、
何でもない今ここにある。

そんな歩みをこれからも
大切にしていきたいと思います。

というわけで、憎しみを隠して
良い人になっていても、
それは消えません。

憎しみを浮上させることを、
どうぞ恐れないでください。

道を歩むすべての方に、
エールを送ります。

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