受け入れがたいものに向き直る勇気

感情解放ワークをしていてると、しばしば
ガチっとロックがかかったように
前にも後ろにも進めなくなるケースに
出合うことがあります。

本人は苦しいから解放されたいと
頑張っているのですが、一方の深いところで
今の在り方を変えることに強烈に抵抗
しているのです。

苦しいのに変えたくない、というのは
どういうケースかというと、

自分の見方を変えれば、
和解と学びへの昇華への道が見えることが
分かっているのに、

それをしてしまうことは、
それまでの自分の苦しみを否定されるとか、
負けたように感じられるから、
それは絶対にしたくない、
と思っていたりするんですね。

たとえば、相手にひどいことをされた。
謝るべきなのは相手であって、
私に何か変えるところがあるなんて
それは受け入れられない!と
意固地になってしまうケース。

ただでさえ相手にされたことで
苦しんでいるのに、それを相手が受け止める
こともなく私が変わってしまったら、
相手はいつ自分のしたことに気づくというの?
という理不尽な思いもあるかもしれません。

自身の感情の責任を自分でとっていくことで
現実は変わっていきます、という話をすると、

たまに「私が気づくことで、相手も何か
気づいて変わっていくんですか?」と
質問される方があります。

責任をとれるのは自分自身のことについて
だけであって、自分が楽になるのであれば、
相手のことなんてどうでもよくなるはずです。

けれど、そのように質問される方は、
「相手に自分のやったことをわからせたい!
思い知らせたい!」という思いが
あるのでしょう。

中には、
「あの人、よくわかってないみたいだから
私が教えてあげなくちゃいけないでしょうか?」
とおっしゃる方もあります。

けれど、鏡の法則を通してみるならば、
分かっていなくて気づかなければいけないのは
自分自身であって、その人ではありません。

自分が気づけば、鏡の像も気づくんです。
けれど、多くの人は鏡の像と戦います。

「お前がおかしいんだから
お前が直せよ!」

「おかしいのはあなたよ!
あなたが直しなさいよ!」

という具合に、永遠に終わらず、
決して勝つことのない戦いを続けるんですね。

自分自身の正当性にしがみつくとき、
他の見方があるという選択肢をとることが
できなくなります。

これは苦しいですよね。
でも自分で選んでいるんです。

さて、あなただったらここから
どうするでしょうか。

不毛な戦いから身を引くのは
実際には敗北ではないのですが、

身を引いた自身の心の内には、
言いようのない悔しさや怒り、悲しみが
溢れるかもしれませんね。

逆に言えば、それを味わいたくないから
あなたは戦いを続けてきたのです。

責任を取るべきは、これらの感情です。

はらわたが煮えくり返るような理不尽さ
への怒りも、深い悲しみと絶望も、
自分の心と体とともにいて、
生きてあげればいいだけです。

それを、やろうと思うかどうか、
というところで逡巡したり、肚を決めたり
というドラマが起こるわけです。

ここを超えると、ものすごく大きな
変容を体験するでしょう。

自ら背を向け、唾を吐いたものに
向き直るって、相当な決意と努力がないと、
そうそうできるものではないと
思います。

そんなことを考えていたら、
聖書の中にある有名な「放蕩息子」の
話が思い出されました。

私はクリスチャンではないのですが、
ウィキペディアによると、こんな話です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E8%95%A9%E6%81%AF%E5%AD%90%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%88%E8%A9%B1

ずっと昔にこの話を読んだとき、私は
なんて理不尽なんだろう!
真面目にやってきた者が馬鹿を見るみたいな
ことは、やりきれない!と思ったものでした。

けれど、今この話を改めて読み返してみると

放蕩の限りを尽くした息子が父親のもとに
帰還するには、相応の葛藤と覚悟があったと
思うのですよね。

詳しくは書かれていない心の内を推し量って
みるならば、放蕩息子は深く自身の愚かさに
気づき、また与えられてきた愛の数々に
気づいたんじゃないかと思います。

ただ、食いつなぎたいという気持ちだけで
戻ってきたわけではなかったと思うんです。

帰還した息子を見た父は、彼の中で起こった
変容を確かに感じ取ったでしょう。
だからこそ、喜び歓待したのだと思います。

父のもとに残っていた息子は、兄弟の変容を
見て取るだけの目がなかったのかもしれません。

そんなことを勝手に想像しながら、
自分の中でガチっとはまってしまっている
正当性を手放したり、見方を変える、
というのは、相当なレベルの学びなのだろう
と思いました。

難題ほど、解いた時の喜びも達成感も
大きいでしょう。

今、このテーマにぶち当たって
葛藤されている方は、これだけの難題に
チャレンジされている勇者です。

自分を卑下することなく、
また葛藤に溺れることなく、

堂々とこの関門を超えていかれますことを。

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