取り入れたものを消化する力

心をどこに向けているかって、
すごく大事だな~と、
近頃しみじみ考えています。

これは自分の意識に日頃、何を入れているか
ということにも関連するのですが、

たとえば、世に起こる事件事故、ゴシップ、
未来に起こるかもしれない様々な危険性
などの情報で一杯にしている状態と、

日々身の回りの美しいもの、神聖なもの、
素晴らしい人たちとの語らいの刺激で
満たされている状態を考えて見れば、
違いは明らかです。

ほとんどの人が後者であることを
望むと思いますが、

一方で自ら前者の情報を
積極的に取りに行っていることに、
ひどく無自覚だったりもします。

私たちは、意識した情報を望むと望まざるとに
関わらず、拾ってしまうものです。

ほんの少し前までは知らなかった何かが
意識の網に引っかかった途端、

意識は猛然とその何かを拾い始め、
あなたの現実の中にいくつものそれを
創造していくのです。

そしてまた、その存在をさらに証明するような
間接的な情報も集まりだすにつれて、
あなたの意識の中で、それの存在感は
ますます増していきます。

「それ」があなたにとって、善きものであれば
現実は素晴らしいものになるのでしょうが、
そうでなければ、一体どうなってしまうでしょう。

情報の溢れ返る現代社会において、
自分の中に取り入れるものについて、
もっと意識的に行動しなければ、
と思うのでした。

そのためには、基準というか軸が必要です。
意識の向け先をどこに定めているか、
方向性の問題ですね。

その方向性を定める行為が、
「祈り」であるような気がします。

私たちの心は常に定まらず、軸は揺らぎます。
だから、繰り返し祈りによって、
ブレた方向性を修正するのでしょう。

祈りと言えば、宗教的な行為のような
気がしますが、

本来それは、人間のごく自然な営みの
一部だったのではないでしょうか。

私自身、さほど宗教色もない家庭に育って、
祈りには無縁の中で生きてきましたが、

自身の霊性の探究を始めてからは、
自然にこの人生を導く何ものかに祈りを
捧げるようになっていました。

そうしなければいられないくらい、
歩みが容易ではなかったからですね。

何が本当で、今自分に何が必要なのか。

外側からやって来る言葉ではどうしても
心の奥深くにまで響くような指針には
なり得なかったし、

結局、そういうものも自身の内側の導きに
照らし合わせる工程を経なければ、
使い物にはならなかったからです。

出来合いのものは便利でお手軽で、
手っ取り早く欲しかった「正解」を
示してくれるように思えますが、

実はそのままでは自分の血肉とはなりません。
食べ物と同じで、消化しなければいけない
わけですね。

食べ物でも同じですが、その時に、
出来合いのものと素材、素材を自分なりに
カスタマイズして取り入れたものとの
違いが顕著に吸収率に影響してくるのです。

インスタントのものは、やはり圧倒的に
そこに含まれるエネルギーが少ないです。

特に多くの人に受け入れられている情報は、
誰が取り入れてもさほど害が出ないように
ものすごく薄いエネルギー密度に
調整されています。

逆に、本質のエッセンスを含んだものは、
万人には受け入れられないでしょう。

それを消化して自分のものにしていくには、
結構なエネルギーを注がなければ
いけないからです。

根気強く、難消化性の栄養をじっくり反芻して、
ようやく少しずつわかって来る、みたいな感じです。

だからそれができる人が受け取ったときに、
はっきりと絶大な威力を発揮するように
必然的になっていきますね。

そうでない人が受け取っても威力が
ないばかりか、消化できないので
害になることすらあるでしょう。

故に、本質の密度の高い情報は、
昔から秘伝とされてごく少数の人にだけ
伝授されてきたわけです。

もし本当に自身の本質に触れていきたいと
望むのなら、

入り口は出来合いの万人受けの情報でも
いいかもしれないけれど、

本質のエネルギーを根気強く消化していく
力を身につけることが大切だと思います。

その忍耐強さや洞察力を鍛える時にも、
祈りは欠かすべからざる威力を発揮します。

長期に何ごとかに取り組もうとすれば、
必ず途中で行き詰ったりブレたりすることが
あるでしょう。

そうでないことの方が稀有です。

そんな迷いの中でも、祈りは自身の帰るべき
場所に引き戻してくれます。

では何に対して祈るのか。

信仰がある方は、その信仰の対象で
いいでしょうし、特にこれと言った対象を
持たない方は、自身の深奥に意識を向けて
祈るのでもいいと思います。

私は基本、後者ですけどね。
その方が、概念ではなく直感的に
捉えられる気がするので。

本来、祈りは何かご利益を求めてするものでは
ありません。

ただ、人間として生きるこの自分と、
より大きな世界との調和を図り、
チューニングするようなものだと
私は理解しています。

沈黙の中で、より精妙なチューニングが
なされます。

日々の祈りの中で、そうした精妙なレベルを
感じ取っていけるように、

何を意識に取り込むのか。避けるのか。
もっと気を配っていこうと思います。

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