「可能性という幻影」との決別で得たもの

近頃、自分軸がズレてしまっているようで、
人とのやり取りで本心とは違う返事をしてしまい、
結局あまり楽しくなかったり、スケジュールが
きつくなってしまうということが何度か
ありました。

折角の時間を有意義に使えなくて、
やらされた感満載の被害者意識にどっぷり
はまってしまったり、苛々したり。。。

でも良~く振り返ってみれば、
ちゃんと自分でそうなることを選んでいる
場面があるんですよね。

本当は他に行きたいところがあったのに、
まぁいいか、と思いながら約束していたり、

相手の提案に、それは無理だよ~!!
って思いながら、その無理を自分に強要して
結果的に相手に怒っていたり。

最初から無理です!って言えばよかったのにね。

こうやって微妙に責任転嫁をしながら、
苛々と不平不満をため込んでいく。

これはよろしくない傾向だぞ、
と今改めて認識したところでした。

そもそもなんでそんなにずるずると
自分の希望を無条件に曲げているのか。

折角私のために骨を折ってくれているのだし、
という引け目を感じていたとか、

頭で、少しは違った人と交流することで
刺激になるかも、とか思ったり。

何かしら下心や心の隙があるんですね。

ものすごく嫌なことだったら
きっぱり断ったり意思表示はできるのに、
微妙なラインが甘いですな。(^^;

今のままだと再び同じ過ちを犯しそうなので、
しっかりここで考察してみようと思います。

最初の件は、自分のために相手がご厚意で
わざわざ骨を折ってくださっている、
という状況。

うわ~、その時間じゃキツイ!
と思いつつ、変更を言い出せないでいる。

(本当に無理なスケジュールだったら
無理と言っているのだが、無理をすれば
どうにかなるかも?くらいの時間)

調整で大変な思いをしているうちに、
段々と怒りが湧いてきて、相手への感謝どころか
不平不満をぶつけだしている。

さて、ここでなぜ本心を言えなかったのか?

無理と言ってしまう自分が怠け者なのではないか?
できない、という前に、やるだけやってます、
という証拠を作っておかないと、できない
と言えなくなってしまう、という思いがありました。

つまり、後ろめたさを消すための行動であり、
端から建設的な目的の行動ではないので、
その結果も建設的な意味合いになることは
なかったのです。

正々堂々と(?)言い訳する権利を得るための
行動だったんですね。

相手に、「そんな気構えだからダメなんだ!」
と言われるのが嫌、という気持ちがあったから
ですが、

そこには、「そんな気構え」の自分を否定する
気持ちがありました。

だから、それを責められるのが嫌で、
そうではない自分を取り繕おうとしたのです。

後ろめたさは、自分で自分をダメだと思っている
からこそ、後ろめたいのですよね。

そんな自分をいくら隠して取り繕っても、
結局そんな自分は消えないわけです。

けれど、そんな自分で在るのにも理由があります。

ダメだってわかっていても、できないのは、
構造的にそうなる必然性があるからなので、
表面だけどうこうしようとしても無理です。

そこをちゃんと聞いてあげないといけない
わけですが、最近、忙しさにかまけて
カケラ君の声を聞いてあげてなかったな~と
反省しました。

ずっと言うことを禁じて飲み込んでいた
「私にはできません」という言葉を、
イメージワークで吐き出してみました。

それを言ってしまったら、永久に
自分の可能性に引導を渡してしまう気がして、
ぐっとこらえてたんですね。

たとえ僅かな可能性でも、残しておきたかった。
そんな未練が根底にありました。

でも、ぞのズルズルがこうして不調和を
引き起こしたわけですから、これを機会に
きっぱり断捨離しました。

逃げ道を断ったわけですね。

可能性というポジティブな幻影も、
逃げ道になり得るのだと改めて知りました。

また、可能性を棄てる選択をすることに対する
責任の重さも。

この「できません」という言葉は、
この出来事とは別の、私がずっと探求してきた道
に対してのものだったのですが、

決別することを決めたら、不思議なことに、
それまでの自分の努力をちゃんと認めて
あげられるようになりました。

それまで、どれだけ努力しても、
自分のその歩みをちゃんと受け止めて
あげていなかったことに気づきました。

それまで、やるだけのことはやった、と言いつつ、
やっていないのではないか、と後ろめたかった
のですね。

でも、頑張ったよね、って初めて
自分に言ってあげられました。

人生には、どんなに最善を尽くしても、
なお至らぬこともあるのです。

いつかはそうでなくなるかもしれないけれど、
その時の自分には、精一杯だったんですよね。

それを、「足りてない」幻想でできる自分を
追い続けるところに、現実との遊離が
生まれるわけです。

それだと、いつまでも地に足をつけて
再スタートを切ることができません。

できないことを認めることで、失望も悲しみも
情けなさも出てきますが、ただ味わって生き切れば
いいのです。

それで、私自身が「情けない人間」になってしまう
ことはありません。

ここまできて、大分私自身のエネルギーが変わりました。

これで今度はちゃんと「できません」って
言えるかな(^^)

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