愛と執着について

先日、ある方から愛と執着に関する
ご質問をいただいて、それにお答えする中で
なるほどね~と思うことがあったので、
今日はそれについて思うところを
さらに掘り下げて、書いてみたいと思います。

大体、巷に言うところの愛って
ほとんどが愛ではなくて、
執着なんじゃないかと思います。

自分を心地良くさせてくれる関係、
たとえば、大切に扱ってくれると
感じさせてくれるとか、
側にいて淋しさを癒してくれるとか、
必要としてくれるとか。

だから、そういう存在が
自分の世界からいなくなってしまう、
ということが許せないし、
恐ろしいんですね。

あなたがいなかったら、
私は生きて行けない!
なんていうのは、典型的な依存であり
執着でしょうね。

束縛や執拗なコントロールは
こういうところから生まれる行動です。

でも、そういうものは、
愛とは程遠い行為ではないでしょうか。

本当の愛は、心地良いばかりではなく、
自分にとってひどく不快に感じたり、
厳しく感じたりすることもあります。

その時はひどく辛い思いをする
かもしれないけれど、結果的には、
そのように接してもらえたお陰で
その人は後に一回りも二回りも
成長していく。

そんな姿を見越したうえでの、
執着をはるかに越えた接し方が
できる人がいるんですね。

それこそが、厳愛です。

ただ、そういう愛は、
精神が成熟していないとその真意を
知ることはできないので、

未熟な精神の持ち主は、
ただただ被害者意識を募らせて、
自分を心地良く寛容に甘やかして
くれなかったことを恨み、
腐るばかりかもしれません。

心底相手の成長を願っての愛を、
愛だと認識できるくらいに、
成熟した精神でありたいものですね。

そして、そうした厳愛を体現するには、
自分自身の執着を克服しなければ
なりません。

自分を慕い、求めて側にいてくれれば
どんなにか自分の孤独も癒され、
便利で心強いか。

それでも、そのことが本当は
相手のためにはならないと見るならば、
自分の得られたであろうメリットを
根こそぎ失っても、突き放すことが
できるかどうか。

自身の孤独や不安をマスターしなければ、
容易く自分の依存心や下心に飲み込まれ、
自分も相手も共に依存し、関係性を
腐らせていくでしょう。

自分の欲や恐れに飲み込まれずに
そのとき自分がすべき接し方が
躊躇なくできる、というのが、
真に自立した人間と言えるでしょう。

そういう人は、

もはや自分の心の隙を埋めるために
人をコントロールしないので、
多分巷の多くで見られるような
愛し方はしないのかもしれませんね。

ただ純粋に側にいたいからいるとか、
笑顔が見たいから会いに来るとか。

けれども、たとえ自分の思いを
相手が受け取ってくれなくても、
相手の意志を尊重して、
それはそれで受け止められるでしょう。

相手は、自分の心の隙を埋めるために
生きているわけではないし、
それを埋める責任を持っているのは
自分であるというのを明確に
認識しているからです。

相手が自分のニーズを
満たしてくれないからキレるとか
恨むなどは、そもそも愛ではないのです。

そこがわからない人が
いい大人でも結構いるんじゃないかな
と思います。

自分を愛してくれているのなら、
●●してくれるはずだ!
みたいなね。

自分でちゃんと、自身の心の隙を埋め、
責任を取れる大人になりましょうね。

そのうえで、互いに支え合い、
思いやり、大事にできるかどうか。

自立することと、
抱え込み、孤立することは違うので、
その辺も、混同しないように。

色々、難しいですね。笑

抑制した慎み深さと節度の中で
計り知れぬ厳しさに向き合いつつ
注がれる慈しみに気づける
自分で在るように。

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