自ら被害者意識に突っ込んでいく行動パターン

日頃、周囲の人たちの言動を見ながら
鏡を実感する日々なのですが、

良くも悪くも、様々に感情を刺激しつつ
ハッとするようなものを見せてくれる
ことが多いのは、やはり家族ですね。

先日も、見ていて、
どうして他の選択肢もあるのに、
わざわざ自分が苦しい選択をして、自ら
被害者意識に突っ込んでいくのかなぁと
思う出来事がありました。

別にそれでなくてはいけない
わけでもなくて、後でも全然問題ないし、
人に頼んでもできるようなことなのに、

その日その時に自分でやることに
こだわって、後で大変だったと
人を責めるのは、どうにも理解できない
思考回路だな、なんて思いました。

私がこれでもできるし、こういう選択肢でも
問題ないのでは?と「提案する」と、
それが全て屁理屈に感じるようで、

どうしてお前は自分の思う通りに
しようとするんだ!?と返してこられて、
いやいや、それ、あなたのことでしょ。
と内心突っ込んでいました。

自分が変に突っ張ってこだわるから、
助けの手を差し伸べられていても
それを掴むことが出来ない。

そうして、
自分は誰にも助けてもらえないのだと
勝手に悲しくなって、被害者意識たっぷりに
人や世を恨んでいる。

でも本当は、
助けてあげようとしている人は
すぐ側にいて、様々な流れの中で
丁度良いやり方とタイミングで
流れて行こうとしているのに、

本人だけがその流れに調和しないで
我を通している。

そんな風に見て取れました。

これを、他人事だと思っていると、
何と哀れで救いようのないお人よ、
と突き放して終わるのですが、

いやいや、ちょっと待てよ、
繰り返し見せられるこれって、
ひょっとして自分のこと?
と振り返ってみると、、、

心当たりしかない。笑笑笑

確かに私も、
こだわらなくても良いところでこだわって、
自ら墓穴を掘ることは日常茶飯事だし、

勝手に悲しくなって勝手に絶望して
世を儚んでいるところもあるし、
そのまんまですね。(^^:

その変なこだわりを捨てられたら、
もっと自由で、もっと楽ちんで
調和の流れの中で、みんなで朗らかに
居られるだろうに、

私は一体、何ゆえに
どうでも良いこだわりに
しがみついているのでしょう?

というわけで、
これを掘り下げてみました。

ものすごく視野が狭くなっているというか、
自分の思う通りでない、予定変更、
新しい選択肢や可能性に対して、
強いストレスを感じて、
うまく対応できていないようでした。

そうして、思う通りでないと、
本人の中では0、全く無いという認識
になるか、頭の中がバグを起こして
エラーみたいな状態になるのでした。

だから、その状態になると、
もうお手上げというか、絶望して諦める、
どうでも良くなる、見捨てられた
となるわけです。

そこまで自分のやり方にしがみつくのも、
長年の間に蓄積された膨大な恐れの経験
によるところが大きいようで、
だからこそ、心も混乱しているのでした。

根底にあるのは、
痛みと恐れと混乱の感情のエネルギーで、
振り返ってみれば、これらは私にとって、
幼いころからすごく馴染み深いエネルギー
だったことに気づきます。

これまで、様々な感情に取り組んで
きましたけれど、今一番自分の歩みを
様々な側面から止めているのは、
根本的にはこれかな、と思います。

まただ。やっぱりダメだった。
裏切られた。あてにならない。
結局は一人で背負わなければならない。

こういう思いを持つ場面や人を
とてもよく見かけるのですが、
これは私自身の中にあるものでしたね。

よくよく、お迎えに行こうと思います。

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