言葉の重みと信頼について

同じ言葉を言っていても、
言う人によって、その言葉の重みが違う
ということがありますね。

受け取る側の価値観によって、
発言する人の肩書きで
重みを感じる場合もあれば、

何よりも、その人の為人(人となり)、
人格によって重みを感じる
場合もあり、

いずれにせよ、
発せられた言葉には、
上っ面の体裁だけではない何かが
付与されて、受け手に
受け取られています。

上記に挙げた二つのうち、
肩書きは、発言者の外的要素の
一側面を表したもので、

それを受け手が自身の価値観に基づいて
権威付けして受け取るため、必ずしも
本質に基づいたものではありません。

一方で、発言者の人となりからくる
言葉の重みと言うのは、
普段の言動に表れる、その人の本質の
全体性からくるものなので、
そう簡単には取り繕えません。

例えば、何か仕事を頼んだ時に、
「わかりました。やっておきます。
大丈夫ですよ」と返事が来たとします。

ある人がそれを言った時は、
本当に大丈夫だろうか。あの人のことだから、
きっと安請け合いをして、あとでまた
トラブルとかがあって結局、
言った通りにはならないのだろうな、
と不安になる人もあれば、

別の人がそれを言った場合、
あの人がそれを言うのなら、
きっと大丈夫なのだろう。
あぁ良かった。これで安心だ。
と感じるケースもあるでしょう。

この違いが何かといえば、
普段からのその人の言動の積み重ね、
在り方だろうと思います。

付き合う側からしたら、
前者のような人を相手にする場合は
細かく途中経過を確認して、
間違いが無いか、見ている必要が
あるかもしれません。

けれど、後者のような人ならば、
最初にしっかり打ち合わせをしたら、
後はほぼお任せか、要所要所のみ
確認をすれば済むでしょう。

大事なのは、言葉そのものよりも、
やはりその人の、人となりですね。

自分の放つ言葉の中に、
何を込めるか。

というよりも、
何がどれだけこもっているか、
意識してみたら、

自分自身の在り様を振り返る
きっかけになるかもしれません。

落語の中にも、
長屋の住人同士で揉めているときに、

ご隠居さんが出てきて、
まぁまぁ、ここはひとつ、
わしの顔に免じて収めてくれんか、
と声をかけると、

まぁ、ご隠居さんがそう言うのなら、
この件はお預けしましょう、と
住人が収まっていく、なんて話が
ありますが、

「この顔に免じて」と言われても、
普通だったらただの顔に何の力が
あるだろうか、と思うところ、

住人みんなが、
このご隠居さんなら、きっとみんなが
納得できる妙案を出して、公平に
良い結論に導いてくれるだろう、
と言う信頼があるから、
みなが引いたわけです。

それが人望という裏付けのある
言葉の重さ、権威なのです。

言葉の軽い人にならぬよう。

普段から、思慮深く、
言葉と行いを一致させるように。

そのためには、誰かのためよりも、
まずは自分を裏切らぬことです。

そうやって、自分自身との
信頼関係を地道に築いていったとき、
おのずとその在り方は、他者からの信頼を
寄せられる在り様になっているでしょう。

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