日頃何にどんな風に意識を向けているか
について、思うところがあったので
今日はそれについて書いてみます。
最近、人の集まる場面で、
一人で段取りから実際の作業、
後片付けまで全部一人でやることが
ありました。
大体は一人でこなせるし、
あまり手伝ってほしくない場面も
あるのでマイペースでできるのが
良いのですが、
時間が押していたり、
同時にいくつもやることが
詰まっていると、やはり
手伝ってほしいときもあります。
そんなとき、側にいる人が
こちらに全く意識が無くて
明後日の方を向いていると、
何となく声をかけづらいんですね。
あちら側はあちら側で盛り上がってて、
こちらは全く輪に入っておらず
別になっていると、気をこちらに
向けてもらうのに、ちょっと
エネルギーがいる感じがします。
もちろん、言えばやってくれるのは
わかっているのですが、結局
その時は全部一人でやりました。
その時本当はどうしてほしかったか
というと、私もみんなの意識の輪に
入れておいて欲しかったな、
と思いました。
そうすれば、私がどんな状態か
すぐに気付いただろうし、
意識が明後日にある状態よりは、
私も声もかけやすかったのに、
と思いました。
まぁこれは私の勝手な希望なのですが、
そう言えば、と思うことがありました。
学生時代に、学園祭を運営する
学科の組織に所属していたのですが、
何かとお酒の席を設けることが多く、
その運営の仕方が一年生で入ったばかりの頃、
わからないことだらけですごく戸惑いました。
というのも、
女子高育ちで酒宴の場なんて
経験したこともなかったし、硬派な
上下関係などとも無縁で来たので
厳しい諸先輩方が集まる場が
恐くて仕方がありませんでした。
そこで印象的だったのが、
酒宴の席で全体を見ている人を
必ず一人置くというのが慣例で、
その役を先輩から言い渡されたときが
ありました。
「全体を見てて」と言われても、
何をどう見たら良いのかわからなくて、
ボーっと眺めているだけで、結局
先輩がフォローすることになったのですが、
今にして思えば、どこで何が起こっていて、
どう進行していくか、必要なフォローの
指示を出す司令塔のような役割だったのでした。
そんな高度なことが何も知らない
ペーペーの一年生にできるはずもない
のですが、今の自分だったら
言われなくても自然にそうしているな、
と思います。
意識を向けているから、
何かあればすぐに対応できる
体勢でいるし、
大体先回りして動いているので、
一緒にいる人はそこに対応しなければ
いけないことがあったということにも
気づいていないかもしれません。
仕事だとそれが自分の責任で、
全体を見ながら場をホールドしていく
のが当たり前というやり方を
しているのですが、
プライベートではもうちょっと
おんぶにだっこではなくて、
みんなで助け合う意識が欲しいなぁと
思ってしまうのでした。
翻って、私自身にも今回されたように
していることがないだろうか、
と考えてみた時に、
自分の責任範疇と認識したことについては
意識を向けているけれど、そう認識
していないことについては全く
意識の外にあるな、と思いました。
そして、母のことを思い出したのですが、
私は、母が自分でできるだろうと
思ったことは意識からバッサリ
排除していました。
当時の母からしたら、
助けてほしいのに助けてと言えなくて、
今の私みたいな気持ちだったのかも
しれないな、とちょっと申し訳なく
思いました。
こんな風に、いま私が関わるべきことを
見落としているのかもしれませんね。
広く見て、ちゃんとサインに気付いて
応答できる意識でいようと思いました。