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さて。
感情は、人生を限りなく豊かにする
不可欠の要素であるのと同時に、
トラブルの種、苦しみの最たる要因
でもあり、なかなかに扱いが難しい
テーマです。
その扱いに困り果て、私たちは
様々にその感情と折り合いをつける
方法を編み出してきましたが、
あまり有効ではないどころか、副作用も
大きな方法でこじられせてしまうことが
しばしばあります。
これまで様々な方のセッションを
させていただいてきて
しばしば見かけるのは、
感情を思考で整理分析し、
理解、納得させて収めたことに
しているケースで、
これだと間違いなく
収めたはずの感情はぶり返し、
決して収まりはしません。
感情を、マインドの領域である
思考で収めることはできないからです。
それらは全く違った領域のもので、
筋を通したい思考に対して、
感情には道理とか筋道とか、
相容れません。
だから感情が劣っているとか
思考が高等なものなのだとか、
そういうことではなく、
感情には感情の収め方、
癒し方、統合の方法があるのです。
感情を癒し統合するときに
私が最も注意を払うのは、
当事者としてその感情に触れる
ということです。
第三者目線でまるで他人事のように
遠くから働きかけるのではなく、
どんなに苦しい感情であろうと、
当事者としてそれに触れ、感じ、
存在全体で受け止めることが必須です。
たとえば、深い絶望の淵で
うずくまるようにして固まっている
感情のカケラを見つけたとします。
こういう感情は大抵の場合、
分離され、無かったことにして
長いこと気づかないふりをして
触れないように、自分ではないもの
として放置されています。
それが自分の一部だと認めてしまったら、
立ち上がれない、浮上できない、
飲み込まれてしまうと思っているので、
注意深く、触れないように隔離
しているわけです。
この分離をそのままに、
どれだけ働きかけようとも、
その働きかけが届くことはありません。
本当に癒すには、自ら
最も暗く冷たい、絶望の淵まで
降りて行かねばなりません。
多くの人は、それに恐怖して
触れられないわけです。
セッションでは、
そこに降りて触れられるように
様々なアプローチ、手法で
サポートします。
本当にその絶望のところまで
降りて触れることができたら、
ちゃんとそれを癒すこと、
統合し、二度と絶望しない自分に
昇華させていくことができます。
結局のところ、絶望を人生の終わり
にしてしまっているのは、自分自身の
その感情に対する態度なのです。
自身のその在り様さえ変わるのなら、
救える気持ちのカケラに
限りはありません。
ただ、自分が見捨てたときに、
それは再起不能、癒えることのない闇
になって忌むべき感情になるのです。
昔、まだこのワークをお伝えし始めた頃、
あるクライアントさんが
感情解放ワークというのは、
自分を愛し抜くことなんですね。
とおっしゃってくださいました。
とても素敵な言葉だな、と今でも
その言葉を大事に胸に抱いていますが、
まさにそうなのです。
どんな自分のカケラも見捨てない。
切り捨てない。自分の一部として
受け止める。
そのときに、
闇は光へと変容し、懐深さや寛容さ、
慈愛に昇華されていくのです。
それは、マインドのレベルで
起こることではないんですね。
頭の表面的なところではなく、
あなたのもっと深いところ、
ハートの奥で起こります。
頭でっかちに自分を矮小化させないで、
もっと深く、温かく、豊かに
あなたの存在を花開かせますように。
その豊かさを生きることを、
どうぞ自分自身に許してあげてください。