クリスマスですね。
みなさんが、穏やかで幸せな
クリスマスを迎えられていること、
お祈りしています。
冬至を越えて、陽遁に入ったせいか、
ベースの気がどこか明るくなったような
気もします。
そんな中、あと数日で新しい年を
迎えるというこの時期に、
どこかざわつくものがある心の内を
じっと見つめています。
今の自分は、理想とは随分違うけれど、
よくよく見てみれば、ものすごく恵まれ、
有難い状況に在ることは確かで、
素直にそれを享受すれば良いのですが、
どこかそれを許さない自分がいます。
人には頭の理想を追うのではなく、
導きにしっかりアジャストするように、
とお伝えしているのに、気が付けば
自分も理想を追っていました。
これから自分は何に基準を置いて
生きていくのか。
何度も問い直します。
これまでずっと追い続けてきたものを
追うのをやめて、別のものに基準を置く
というのは、結構意識エネルギーを
使いますね。
頭では、追い続けてきたものに
それほど意味はないということは
わかっているのです。
けれど、それがないと、
落ち着かない感情のエネルギーが
あるわけです。
これから基準を置こうとしているものは、
これまでも人生を確かに導き続けてきた
力であるということや、
その力強さ、温かさ、深さ、そして
本質であることも、感じています。
その本質が、
もっと人生の現実的な側面に
確かにリンクしている感覚が
刻まれるといいな、と思います。
その感覚が、虚構に引き留めようとする
引力よりも強くなって、その力を
振り切ったとき、もう戻ることは
ないでしょう。
この仕事を始めて、これまで何度も
自分はこの方向性で良いのだろうか?
と思い悩むことがありました。
けれども、私にはそれ以外に
やり様がなかったし、
選択肢もありませんでした。
ひたすら必死で目の前のやるべきことを
やるしかなかったのですが、
私の人生を導く力は、それでちゃんと
ここまで私を運んできてくれました。
何の不足もないし、幸せです。
有難い限りにもかかわらず、
その恵みを受け取り切れていません。
私の意識は今ここにある豊かさではなく、
まだどこか違うものを得ようと手を伸ばし、
彷徨っているようでもあります。
足るを知るという言葉がありますが、
それは、今目の前にある豊かさに気づき、
受け取ることを促す言葉なのでは
ないかな、と思います。
決して、そこそこで満足していなさい、
という諦めを言う言葉ではないはずです。
なぜこの瞬間の満ち足りた豊かさを
受け取れないのか。それは、
本当の自分の器にそぐわない理想を
追っているからでしょう。
だからこそ、
自分をよく知ることが大切です。
そこを間違うと、
自分の人生をあらぬ方向に進めてしまい、
悲劇になりかねません。
人生をあらぬ方に駆り立てるのは、
私の場合は未来への不安で、多分
実際に何か起こったとしても
それなりに対処していくでしょうに、
右往左往するときの感覚が残っているんですね。
それらを丁寧に統合を進めていくと、
先ほどよりもう少し、落ち着いて
今この瞬間の豊かさを
受け取れるようになってきました。
そうして深く
その豊かさのバイブレーションに
触れていると、この先の自分の方向性
に関する導きが現れてきました。
1つ、受け取れるようになると、
やっとその次の扉が開いて、
また次の歩みが始まる。
人生は、そうやって私たちを
導き続けているのです。
今まで以上に骨身に沁みて、
導きの真価を刻まねば、と決意する
年の瀬でありました。