人生がうまくいかないとき、
何かちょっとしたヒントで
抜けられるときもあるし、
何年も出口が見えない迷路を
グルグルするようなときも
あると思います。
自分自身を含め、様々な方を見てきて、
ある人は困難な時期にその解決法を
知ることができて、順調に回復でき、
またある人はどれだけ探し回っても
そうした方法や人にも出会うことが
できずに抜け出ることができない
というケースもあります。
後に、あの時これを知っていればなぁ
と思うようなこともあると思いますが、
でも、その時は縁がなかったんですね。
私自身、20年以上前に父が病に
倒れたとき、こういうことを知っていたら
もっと違った道があっただろうに、
と思うことはあるし、
頭が固くて意固地な若い頃の自分に、
そういう在り方をしているから
現実がそのようになっているのだよ、
と教えてあげたくもなります。
結局、運と一言で言ってしまえば
それで終わりですが、そういう出合いが
あるのかないのかには、様々な要因が
あるものの、
やって来たご縁をどれだけ生かせる
自分だろうか、というのも
大きいような気がします。
私がお伝えしているワークも、
同じようにお話しても、
とても深く受け取ってくださって、
人生の糧にされている方もあるし、
いいことを聞いたとは思うけれど、
自分が実践するかというと、
多分やらないなぁという方も
あります。
その時その方はそう思ったのでしょうが、
それもご縁なのだと思います。
どれだけ真理を求めたとしても、
隣に仏陀やキリストがいても
気づけないような在り方をしていたら
こんなに近くに真理があっても、
触れることは叶いません。
求めるものに、適う自分だろうか、
と謙虚に問うことから、
開けてくる道があるように思います。
けれど、
困難は脱出したいとは思うものの
自分の在り方を振り返って
何か変えようとは思わないというような
在り方をしているな、と感じる方にも
しばしば出会います。
解決方法を教えてくれ、道を示してくれ、
と言いつつ、自分がやるつもりはない、
誰かそこまで運んで行ってくれ、
扉を開けてくれ、と言っているようなもので、
それを続ける限りは、無理でしょうね、
と言わざるを得ません。
わかってはいるけれど、
いきなりはできない。でも、
今の自分はこれくらいならできる、
というのを少しずつ実践してきて、
当時は想像もできないようなところまで
辿り着いている方もあるわけで、
そういう方は、自分にとって何が本当に
大切でやるべきことなのか、というのを
真摯に受け止めることができた方
なのだろうな、と思います。
優等生のように完璧に、スマートに
やろうとする必要はありません。
ただ、それに向き合う自分の心根が
どうなのか、ということが、
最もシビアに見られているのです。
表面的な形だけなぞって
やってやったぞ、という態度なのか、
その意味を深く自分の中に落とし込んで
自分で応えていくから出てきた態度なのか。
あなた自身の人生が問いかけているのは、
それを通してあなたは何を感じ、知り、
応えたのか、ということです。
その積み重ねが、あなたの人生を作ります。
それが虚ろなものなのか、
真心のこもった身のしっかりつまった
ものなのか。
心底、納得のいく人生になると良いですね。