本当に自分自身を生きることの始まり

探求は、
自分自身を知るためにするもの、
と私は思っています。

けれど、探求をする人の中でも、
自分自身を切り捨て、あるいは
置いてけぼりにして違うところを
彷徨っている人も多いな、
という印象があります。

そういう人たちは、
「自分ではない、何か別のもの」を
探して、「今ここではない、
どこか遠くの理想郷」を
求めているのでしょう。

でもそこには、
自分を本当に満たすものは
無いのです。

自分自身を深める以外には。

けれど、難しいのは、
「別の何か」を求める人にとって、
自分自身に留まり、自分を深めることは
最も苦しく、最も関心がなく、
最もやりたくないことなのです。

それよりも、心躍らせるような
ワクワクするものは自分の外にあり、
一時、それに浸ることで満たされたような
感覚にもなります。

けれど、それは長続きしません。
だから、また別のワクワクするものを
探しに行くのです。

そうしてまたしばらくは
自分の感覚が刺激される喜びに浸り、
これぞ人生の醍醐味、と悦に入ります。

でもまたすぐにあの虚しさがやってくる。

きっとこれも、
私を満たす本当の何かではなかったんだ。
その本当の何かさえ見つかれば、
必ず私の魂は満たされるはず。

それは一体どこにあって、
何をしたら得られるのだろう。

多分その人は、地の果てまでにだって、
それを探しに行くでしょう。

有名な聖者に会いに行き、
グルに教えを請い、厳しい修行をして、
あるいは異端とされる教えの
かなり際どい秘儀を受けたり
するかもしれません。

そうして、それなりに
神秘的な体験も積んで、
この業界も大分分かったような
感じになってきたりもします。

でも、まだ満たされない。
まだ完全じゃない。

何より、
自分の魂が納得していないのです。

まだ、まだ、まだ。。。

そんな風に彷徨う人たちを色々見てきて
共通することがあるな、と思うのですが、
彼らがただ一つ、探求していないところ
がある、ということです。

それが、今ここ、自分自身です。

彼らはみな、自分自身にいないんですね。
つまり、私の言葉で言うと、
自分がお留守になっているのです。

どんなに素晴らしい神秘体験をしていても、
どういうわけか、私には彼らは
自分自身の本来のポジションに
ハマっていないように見えるのです。

あくまでこれは私自身の感覚なので、
それが絶対に正しいと言いたいわけでは
ありません。

ただ、経験上、
自分自身に深く留まり、
自分を生きられるようになった人は、
例外なく心が落ち着き、
自分自身に寛げるようになります。

そして、忙しく「何か別のもの」を
探す必要がなくなっています。

そこが自分の本来の居場所だから
でしょう。

在るべき処に、在るべきように在る
という、最も無理がなく自然な在り様
に収まっているのは、平和です。

そしてそれがただ平和なだけの
薄っぺらいものかというと、
そうでもありません。

深まるほどに、
退屈はしないでしょう。

刺激を求めて外に忙しいのは、
ある種の中毒症状です。

そうしていないと、
自分の内から湧き出す不足感や
虚しさ、無力感に苛まれて
いたたまれないので、いられないのです。

でも、それを超えてなお、
留まるべきは自分自身です。

苦しいのは、
自分自身にいるからではなく、
何か不自然なことをしているから
でしょう。

それを止めることです。

探求の終わりは、
本当に自分を生きることの
始まりなのです。

 

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