何かを求めて歩みを進めれば、
何かと壁というものにぶち当たる
ことがあります。
自分の実力や状況などからは、
簡単には越えられそうもないように
感じられるから、厚かったり
高かったり堅牢に見える「壁」
と言うのですよね。
私自身も人生を振り返ってみれば、
壁だらけだったなぁと思います。
でも、あの壁をどうやって
越えてきたのだろうと思うと、
確かにそれなりに努力したことも
あったけれど、
何とな~く過ぎて行って、
いつの間にか壁が後ろにあった
みたいな感じの時も結構あった
ように思います。
もちろん、
何年もチャレンジしていても
未だに変わらず目の前に立ちはだかる
壁もありますけれど。。。
よく、壁を越えると言いますが、
越え方も一通りではありません。
筋力に任せてよじ登るとか、
梯子をかけるとか、仲間を呼んで
みんなで協力して引っ張り上げる、
押し上げるとか、
穴をあけるとか、ちょっと遠回りだけれど
壁の端まで行って回り込むとか、
賄賂を使って壁の向こうの人に
通してもらうとか。。。
善悪を抜きにして手段だけ考えれば、
他にもあれこれ、やり方はありそうです。
その時の目的や状況によって、
何が最適解なのかはあるでしょうが、
そもそも、その壁は何のために
越えようとしているのか、
というところを問うのも、
無意味ではないと思います。
その壁の向こうに何か
欲しいものがあると思うからこそ
どうにかして越えてやろう
と思うのでしょうが、
本当に欲しいものがそこにあるのか、
壁を越えないとそれは手に入らない
ものなのか、など、
あまりにも壁を越えることに
執着しすぎていると、そのこと自体が
目的となってしまって、本来目指していた
ものを忘れてしまう、なんてことも
あったりします。
壁を越えるスリルや楽しさを味わいたい!
というのだったら良いのですが、
手段と目的をすり替えてしまわぬよう
今一度振り返ってみると、
気づくことがあるかもしれません。
自分は本当は、何をしたかったのか。
そのためには壁の向こうに行かなくては
いけない!と、どこかで見定めた
のでしょうが、
壁を越える手続きや道のりが長すぎて、
必死になるあまり、本質を見失っては
本末転倒です。
その状態でたとえ壁を越えたとしても、
そこで求めていたものすら忘れて
さらに深いゲームにはまって行く
のではないでしょうか。
目的のためには手段も選ばない
という向きもありますが、
目的に適わない手段や努力の道は、
どこまで行ってもその目的地には繋がらず、
虚しさが募るだけです。
目的地にたどり着くような
歩みを積み重ねなければなりません。
壁の攻略法に躍起になっている時にも、
確かにそういう歩みをしているつもり
かもしれませんが、
そこに、ハートの違和感がないか、
良く心を澄ませてみてください。
違和感がある歩みを重ねるのは、
目的地に近づく歩みではありません。
心の豊かさや安心、喜びは、
目的地にたどり着いた時だけ
味わうものではありません。
そこに至るすべての瞬間に、
自分が満たされ続けるのです。
そんな歩みを重ねていかれますように。
目的のために、今を犠牲にする
必要はありません。
今、一歩一歩刻むこの歩み自体が、
あなたの魂の喜びとともに
ありますように。