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さて。
人生が停滞していると感じるとき、
それは自分が何かを受け取り拒否している
ということです。
人生からの呼びかけをえり好みせず
受け取って、誠実に応答して行けば、
苦しく感じるときはあるでしょうが、
人生が流れを止めることはありません。
自分を閉ざし、何かを生きることから
逃げているので、停滞するのです。
多分それは、気が進まなかったり、
あなたにとっては好ましくないと感じる
何かなのでしょう。
巷では、ワクワクすること、
楽しいことを選ぶと人生はハッピー
になると言われる向きもありますが、
確かにそれも一理あるのだけれど、
それはものごとの一面に過ぎない
と私は思うのです。
人生には、苦しく感じることでも、
避けて通ってはいけないところ
というのも確かにあります。
そういうときと、
何か道から外れたときは何が違うか
と言うと、
逃げてはいけない、甘受すべき道のときは、
頭ではなく、自身の深いところで
わかるんですね。
そして、もがき歩みながらも、
その歩みが恩寵とともに在ることを
感じています。
だから、先が見えないかもしれないし
苦悩はするけれど、決して虚しい感じ
ではないのです。
でも、道から外れている時は、
たとえそれが傍から見てまっとうに見えても、
自分自身の在り方が違うので、
虚しさは募るばかりです。
在り方が違うというのは、
往々にして、受け取るべきものを捨てている
ことが多いような気がします。
受け取るべきものと認識できていないのか、
どうしても受け取りたくないのか、
人によって様々ですが、
自分は確かにそれを拒絶している、
閉ざしている、受け取っていないと気付けたら、
受け取る選択を改めて問うことも
できるでしょう。
気づかないままに受け取ろうとしても、
何に対して自分を開くのか、
受け取るのかがわかりません。
今自分がどんな在り方をしているのか。
頭で知るのではなく、確かに
自分の意識で捉え、知ることが大事です。
人生から差し出されてくるものは、
甘いものばかりではありません。
苦いもの、辛いものもありますが、
それを受け取り、昇華することで、
私たちは何かが変化して行きます。
そして、その自分だからこそ、
見えてくる世界があるんですね。
その変容を通らない自分で
別の世界を求めたところで、
世界を体験する自分自身がそのまま
なわけですから、変わり様もありません。
天国は、
どこか別の遠く高いところにあるのではなく、
今まさにここにあるというレナードの言葉は、
その通りだと思います。
自分が受け取り拒否をしないで
人生の流れのままに、自分を開いていれば、
自分の中に流れ込んでくるものがあります。
その流れは絶えることなく、淀むことなく、
神秘なるリズムとバイブレーションで、
完璧な調べを奏でます。
だから、何かをしようと作為的にいきむ
のではなく、ただ自分がどれだけ
開いていられているのか。
そこに対して肚を決めることかな、
と思います。