欲しい欲しいと言いつつ
すごく苦しい思いをして
もだえ苦しみながら求め続け、
努力しているように見えて、
いざ、あれほど欲しかったものが
目の前にやってきて触れようとすると、
全力で背を向けて逃げ出し、
遠巻きで眺めているか、
ブラインドをシャッと下ろして
無かったことにしている。
そんな人をしばしば見かけます。
傍から見ると、
欲しいのか欲しくないのか、
一体どっちなんだよ。。。
と思ってしまうのですが、
理想の瞬間を遠くに置いて、
いつか、いつかとそれに向けて
努力している時間が好きなのであって、
本当にそれを得ることは、
実は全く求めていなかったり
するのかもしれませんね。
そんなことを言うと、
本人は全力で否定するだろうし、
こんなに苦しい思いをして
頑張っているのに、自分にはそれが
得られないのです、と
歩みの理不尽さを力説して
失望したり悲しんだりする
のだろうけれど、
その人にとって、
丁度良い理想や夢との距離感
というものがあるのだろうと思います。
別にそれについて
外野がどうこう言う筋合いのもの
ではないので、セッションでも
無い限りは突っ込みません。
けれど、セッションではその辺り、
結構突っ込んでいくことはありますね。
本人が、
いや、自分は本当に求めていて
それを望んでいるんです!
触れたいし、触れても大丈夫です!
準備はできています!
と言う場合に限ってですが。
本当に本当に本当に、
準備ができているのか、
頭でそう思っているだけなのか、
チェックしながら
準備ができているなら
内なる神に誘導するし、
できていない様子が見て取れたら、
本人がそれを認識できるように
様々な角度から問いかけを重ねます。
本当に向き合えていて
逃げずにその瞬間を受け止められる
姿勢にあるのなら、扉は必ず開きます。
開いていないのなら、
準備はできていないのでしょう。
自分が聞きたいように聞くのではなく、
内なる神があなたに受け取って
欲しいように受け取れる自分で在るように。
そうやって、
チューニングを合わせていきます。
人間同士でも、言葉にせずとも
以心伝心、気持ちが通じ合う感覚が
生じるときがあります。
それに近い感覚で、
ちゃんと互いに本意が伝わっているな、
受け取れているな、と言う感覚を
大事に聞いてみてください。
少し触れた、通じたと感じられたら、
さらに深く、受け取っても大丈夫かどうか、
自身の在り方を確認しながら、
一段二段深く、自分を開いていきます。
より深く開こうとするほどに、
恐れが出たり、様々なレベルの在り様が
問われてくるのがわかると思います。
自分が本当に向き合えているのか、
頭で向き合っている人は
なかなか気づけませんが、
「通じている感じ」があるかどうか
確認しながら感じてみると、
わかりやすいのではないかな、
と思います。
内側との対話も、外側の存在との対話も、
自分の一方的な思いで向き合っていては、
本当に「通じる対話」にはなりませんね。
一方的な向き合い方しかできないのは、
相手はもちろん、自分自身をも
大事にしていないのです。
相手へのその向き合い方が、
そのまま、自分への向き合い方に
重なるからです。
自分の都合でしか見ないような
向き合い方をしないように。
本当に互いを大事にした
対話ができる自分で在りましょう。