今年に入ってから、
何だか時間の流れがものすごく早くて、
あっという間に一日が終わり、
月日が経っていてびっくりします。
目の前のやることを一つ一つやって
終わらせているだけで、
もう一日が終わっているのですから、
余計なことをしている暇は一切なく、
ある意味、効率的なのかもしれません。
ここのところは、
特大事件が起こって必死で対応し、
やっと少し落ち着いたかと思う
タイミングで次が来るという。。。
まぁそれでも何とか対応できているので、
ありがたいのですが、奥深くにあった
根深い因子が、このタイミングで
色々出てきているようです。
そういうものに場当たり的に対応すると、
後に禍根を残すことになるので、
逃げない、誤魔化さない、最善を尽くす、
に集中しています。
そうしていくうちに、
まとわりつくネガティブなエネルギーが
少しずつ険しさを緩めて、嫌な感触が
明るく穏やかになっているのを
感じます。
そういうものって、潜んでいる内は
なかなか対応できないんですよね。
だから、
出てきたということ自体は表面的には
良くないことのように見えるけれど、
実は、もうそれが完了していく
タイミングが来ているよ、
ということなのです。
そのときに、対応を誤らぬよう。
恐がって蓋をしようとしたら、
もっとひどくなります。
ぐっと踏み留まって、
誠で応答する。
これが基本です。
安易に目先の利益や平穏に
逃げてはなりません。
こういうときに、
正しく対応できるようになるための、
日々の鍛錬です。
今回、私に起こった事件は、
家の根深いカルマに起因するもの
だろうと思うのですが、
決して対応できないようなものが
出てきているわけではないので、
その辺はありがたいな、と思います。
こうやって、アクシデントや
トラブルを通して、
カルマを清算しているのですね。
そのときに、自分がどう応答したのかで
晴れていくものがあるのです。
神なる眼差しがあるとしたら、
その時の私たちの在り様を
じっと見ておられるのだろうな、
と思います。
先祖のネガティブなカルマというのは、
その先祖の歪んだ在り様から生まれた
エネルギーの捻じれや乱れのようなもの
に私には感じられます。
それゆえに、その家の者は
そのエネルギーの乱れを受けて
様々な傾向が表れるのですが、
だからこそ、それを修正するには、
誤った在り様から生まれたエネルギーを、
自身の在り様を通して正すことが
有効なのだと思います。
そのときには、確かに負荷がかかりますよね。
でも、貧乏くじを引いた
と思うのは浅はかです。
それは先祖の願い故に、
その役割の者は様々に守られ、
恩恵を受けていたはずなのです。
そんな恩恵など、微塵もなかった
と思われる方も、あるかもしれません。
それにもかかわらず、
あなたは今、生きている。
それをどう受け取るか。
気付けるか。
受け取らない、気付くことを拒否する
というのも選択だけれど、
もし受け取ったなら、
あなたの人生の意味合いは、
一変するでしょう。
深い恩寵の世界も、地獄も、
紙一重で同じ場所にあります。
それは、自分の眼差し次第。
どんな眼差しを持って生きるのか。
それがあなたの生き様そのものなのです。