愚痴って、
つい言いたくなってしまう気持ち、
よくわかります。
自分の中で抱え込むと、
モヤモヤムカムカして、
気持ち悪いし辛いですよね。
それを解消したくて、
つい誰かに愚痴を言いたくなる
わけですが、
そうやって吐き出すだけでは、
一時凌ぎで、根本的な解決や改善には
何の役に立つアクションも起こして
いないので、また同じ構造の問題が
浮上してくるでしょう。
それに、注意したいのは、
愚痴は、聞かされる側にとっても
すごく負担になるということです。
なぜかというと、
愚痴を吐いた人はすっきりしますが、
聞かされる側は、その重たいエネルギーを
受け取ることになるからです。
聞いた後はげっそりと疲れてしまう、
という経験をした方も多いのでは
ないでしょうか。
よく、母娘関係などで、
幼少期に母親の愚痴を聞かされて
育ったという方がいらっしゃいます。
母は身近で自分の分身のような存在の
娘に気軽に愚痴を吐きますが、
娘は母親にとって大事な存在でありたい
という思いから、一生懸命その
重たいエネルギーを受け止めて、
愛されようとするという構図を
しばしば見かけます。
そうやって共依存のような関係に
なっていくわけですが、これは
大人になって、ものすごく歪んだ
関係性になっていきます。
いずれどこかで、
お互いにその歪みを解消すべく、
何らかのアクシデントなり衝突なりが
起こるでしょう。
けれどそれも、自立へ向けた
健全な働きの表われなのだと思います。
話は戻って、
愚痴を吐いて一時凌ぎをするのは
単なる現実逃避です。
もし愚痴を吐かずにその状況に
留まるとしたら、耐え難い苦しさが
浮上するでしょう。
その苦しさに、逃げずに向き合い、
それを改善するような行動を
起こしましょう。
それが、自分自身の人生に対する
責任を果たすことです。
自分の責任において行動し、
結果を引き受け生きていくのです。
そういう責任を果たさずに逃げるから、
いつも愚痴を吐くだけの人生が
続いていくんですね。
その苦しさが嫌なら、その在り方自体を
正していかなければなりません。
愚痴を吐くだけの人は、
自分が逃げているという自覚が薄い
人が多い印象です。
自身がどんな責任を果たしたら良いのか、
理解していないのです。
でも、だって、といった
責任転嫁の思考も多いです。
そういう在り方をしていること自体が、
愚痴が多くなる状況の根本原因である
という気付きが持てると、変化への
希望が出てくるのですが、
いかんせん、そういう方は
変化への不安や抵抗も大きく、
腰がものすごく重い傾向がある
ようにも感じます。
その不安感などを、どう受け止め、
昇華させていくかがポイントの一つに
なってくるでしょうね。
いずれにせよ、
本人が本当に幸せになりたい、
変わっていきたいと心底決意しない限り、
愚痴を吐くだけの人は変わりません。
そういう人の側にいてうんざり
している人は、そっと離れるのが
賢明です。