様々な人間関係の問題は、
自分軸と境界線がしっかり取れておらず、
混乱していることが問題の根底に
あります。
逆に言えば、これが明確になれば、
複雑にこじれたように見える問題も、
調和への道筋が見えてきます。
人間関係が混乱している方の
お話を伺っていて、しばしば
聞かれるのが、
境界線をはっきりさせてしまうと、
自分が冷酷な人間のように
思えてしまって、境界線を引くことが
できないということです。
このように考える人は
割といらっしゃるのではないか
と思うのですが、これは
大きな勘違いです。
境界線を曖昧にして
自他を区別しないことによって、
自分の領域に中に侵入させては
いけないものを侵入させ、
また、自分も同じように
相手の境界線を踏み越えて
相手に侵入してしまうことで
余計に相手を傷つけ、
自分も傷つくということが
理解できていないのです。
これの何が問題なのかというと、
私たちは、自分自身でしか
責任を取ることができない
領域があるにもかかわらず、
そこに不用意に自分でない存在を
関わらせることにより、
非常に不適切な不調和を生むことに
なるのです。
たとえば、感情面でいうと、
自分の感情を統合し、体験を昇華
させることができるのは、
本人だけです。
にもかかわらず、本人のふりをした
別の存在がその人の感情を
どれだけ一生懸命に統合しようとしても、
それはできない話なのです。
こうして、統合できなかった感情は、
その人の内側でわだかまり続け、
苦しみは長引くようになります。
そして何より、
私たちの存在の奥深くには、
内なる神がいます。
その神と対話できるのも、
当人だけであり、その直接対話に、
何者をも挟んではなりません。
すべての存在は、
自分で、自分自身の内なる神と
対話するのが正しい在り様なのです。
そうできるようにサポートすることは
あったとしても、本人の代わりに
それをすることは、存在への冒涜
に等しく、極めて不健全です。
このような、とても神聖な領域に
他者を侵入させてしまうと、その人は
内なる神につながれなくなります。
自身の深奥にいます内なる神と
クリアにつながる感覚が
自分軸の基盤になるはずなのに、
そこが機能不全になると
あらゆる判断の基準が混乱し、
人生の迷子になってしまいます。
だから、
自分と他者をはっきり区別し、
自分の神聖なプライベートな領域には
誰も侵入させてはならないのです。
境界線をしっかり引くには、
自分の領域の責任には100%
完全に責任を取ることが必須で、
責任転嫁や他責思考がある限りは、
境界線は引けません。
これはエネルギー的に見ても、
明らかです。
そして、そういう人は
どれだけズルく立ち回っても、
自分軸は正しく取れず、
自身の真の力も使えません。
常にどこかで無力感に苛まれているので、
境界線を曖昧にして他者に侵入し、
自分の力を使うのではなく、
相手の力を不当に搾取して
生きようとするのです。
このように、自分軸と境界線、
自身の真の力を使うことと、
内なる神につながることは
不可分のテーマです。
自分がこれをクリアできている分だけ、
相手の中にもちゃんと、
そのようにできる力があることを
直感的に見て取ることが
できるようになります。
それが、相手への信頼とリスペクト
の眼差しにつながるので、
互いに自立した気持ちの良い関係性を
構築できるわけです。
これがない関係性は、ほぼ
上っ面だけの関係性であるか、
共依存の関係性だと言えるでしょう。
自分軸をしっかり持って
境界線を引くことは分離ではなく、
愛の関係性の基盤であることを
良く良く理解されますように。