頭のマインドで考えている限り、
どうしても触れられない領域が
あります。
そうは言っても、それが通常運転の人は、
指摘されても戸惑ってしまうんですよね。
どうやったらいいんだろう?と
また頭でいじくりまわして、
余計に迷子になってしまうという。。。
私自身にも覚えがあるので、
その気持ちも良くわかります。
そこからどう誘導したらいいかな、
といつも思いながらケースバイケースで
試行錯誤するのですが、
思考の延長線上にはない在り方に
シフトしてもらうのに、
言葉を重ねるわけにもいかず、
けれども、混乱した人は
「どうすればいいのかを具体的に!」
求めてくるんですよね。
でも、「その求め方」自体が
辿り着けない要因なので、
そこに気づかない限りは
シフトできません。
とても矛盾することではあるのですが、
「その求め方を止める」ことが
できるかどうか。
止めた途端に、求める方向性がわからず、
戸惑うでしょう。
強いて言えば、その戸惑い自体を
受け止めるわけです。
頭でっかちな現代人は、
わからなくて戸惑うことをものすごく恐れ、
すぐに答えを欲しがりますね。
忍耐強くその状態を練り上げ、
自分なりのプロセスを積み重ねながら
有機的に答えに至ること自体に
耐えられないのです。
答えをくれそうな人の顔色を伺いながら、
これでいいのかな?と不安げに確認し、
安心できる答えをもらえないと、
その在り方のまま、別の人に
「納得、安心できる答え」をもらいに
彷徨います。
その苦しさを受け止めながら
道を拓き、歩む力をつけない限り、
出来合いの答えで安心する在り方を
卒業することはないでしょう。
正しい答えを得るためには、
正しく問わねばならない、
と何度かお伝えしてきました。
問う段階から、
どんな答えを得られるのかは
決まっています。
何を問うか、以前に、
どう在るかによって、
生まれる質問がまず違います。
見える景色が違うからです。
あなたにも、
誰かから質問を受けて、
話がどうも噛み合わない、
本当にわかっていたら、
そもそもそんな質問、出てこないよね、
というような体験があるかもしれません。
だから、行き詰まりを感じた時は、
何を問うか、よりも、どう在るのか、
を振り返るのが有効な時があります。
そんなことはとうにわかっているし、
良く知っている、と思っていることが、
実は全くわかっていなかった、
見当違いであった、ということも
あります。
わかっていなかったということに気づく、
或いはそれを認めるまでに、随分
回り道をすることもありますね。
わかっていると思い込んでいると、
指摘されても、何を指摘されているのか、
わからないのです。
ここがブレイクスルーするまでが、
何とも苦しい。
私自身にも覚えがあり、
ブレイクスルーできていないことも
あるので、これは自分に向けた言葉
でもあります。
苦しくとも、
歩みを止めるわけにはいきません。
メリットがあるからとか、必要だからでもなく、
ただそれが自分の道であるから。