畏怖の念と自他の命へのリスペクト

今年もあと何日、と指折り数えて
大掃除の仕上げとスケジュールを
にらめっこしている今日この頃ですが、
みなさま、いかがお過ごしですか?

冬至を過ぎると、
まだまだ夜は長いのだけれど、
着実に世界は光に向かっているという
その気配に、なんだか心が浮き立ちます。

もうすっかり光の世界、という頃も好きですが、
まだまだ闇が深いけれども確実に峠を越えた、
というこのくらいの空気感が大好きです。

苦しい闇の中で自分の限界に挑戦し続けて、
あるときふっと壁を抜ける。

そうして、まだ一段、成長した自分として
その峠を越えた光を迎えていくので、
その感覚が清々しいのでしょうね。

満足いく成果を得られても、
思うような結果でなかったとしても、
無様であっても、誇らしくとも、

瞬間瞬間、自分にできることを模索し、
実行し続けてきたこと自体が、
掛け値のない、自身の財産です。

それが、等身大の自分の実力です。

そういうものに、じかに触れることの
清々しさがあるのですよね。

思い込んでいるときの、
ブカブカした不確かな違和感ではない、
確かな感触。

伝わるかな?

背伸びしない、見栄も張らない、
己の惨めさや不甲斐なさ、ちっぽけさを
圧倒的に大きなものの前に投げ出し、
さらけ出してみるのは、良いことです。

本当に素直に、謙虚に己の小ささを知る人は、
その身の内に、無限に大きなものを
宿すことができます。

己の小ささを知るほどに、
大きなものを、肌で知るからですね。

その大きなものの気配を常に胸に抱いて
その人は人生を歩むでしょう。

そうして、その人の人生は、
無限に大きく、永遠なるものを
宿すようになるのです。

畏怖の念は、人間にとって
非常に大切な感覚であり、
深く、霊性の根本につながる
カギであるような気もします。

畏怖の念を持っているからこそ、
自分や他者の命への慈しみや
リスペクトを持つことが
できるんじゃないかな、と思います。

だから、
己の小ささに打ちのめされるのも、
悪くはありません。

中途半端に自分の小ささを否定して
嫉妬すると、否定した己の小ささを
何度も思い知らされるような経験を
繰り返します。

否定したものは、受容されるまで
繰り返し差し戻されるという
法則の通りですね。

何度も打ちのめされ、苦しむのは、
結局嫌というほど思い知らされても
認めてないんですね。

本当に素直に、謙虚に認められていたら、
どうして何度も打ちのめされ、
苦しむでしょうか。

それを認めてしまったら、
本当に自分はちっぽけでダメな奴に
なってしまうと恐れる人は多いですが、

実際は、それを認めないが故に
いつまでもちっぽけでいるというのが
本当だと思います。

自分の小ささを認め、受け入れたところから
真っすぐに、自分を打ちのめしたものに
向き合った時、

本当にその無限の大きさ、永遠に触れて、
それが自分の中に流れ込んでくるのです。

抵抗している内は、決して起こりえない、
だからこそ、霊性の道において
サレンダー(降参)が言われるのでしょう。

私自身を振り返ってみて、
どれだけこういうサレンダーが
出来ているだろうかと思うのですが、

まだまだ無知で傲慢で尊大であるので、
きっとこれからも繰り返し打ちのめされ、
ゴリゴリ削られていくのでしょうけれど、

願わくば、その歩みが
永遠との出会いの連続であるように。

深い、慈愛に触れる喜びとともに
あるように。

そして、それを分かち合える人々との
たくさんの出会いがあるように。

そんなことを思いました。

関連記事

お知らせ

●満月のオンライン瞑想会
2024年
5月23日(木)19:00~22:00
6月22日(土)17:00~20:00
7月21日(日)17:00~20:00
・・・
●もしこちらの新サイトのブログが更新されてなかったら、 以下のミラーサイトをご確認ください。
・・・
アメブロ
https://ameblo.jp/25258pkou/entry-12734758809.html
・・・
gooブログ
https://blog.goo.ne.jp/25258pkou

最近の記事

  1. 満月のオンライン瞑想会(4/24)ご感想

  2. 人生の神秘への扉

  3. 第705弾 無料遠隔ヒーリング

  4. 試練と恩寵

  5. 第703弾 無料遠隔ヒーリングご感想

カレンダー

2021年12月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
TOP