畏怖の念と自他の命へのリスペクト

畏怖の念は、人間にとって非常に大切な感覚であり、深く、霊性の根本につながるカギであるような気もします。畏怖の念を持っているからこそ、自分や他

本当に欲しいものを求める

自身のより精妙な領域から来る導きを受け取り、対話することは、何も特別な人にだけ与えられた特権ではないのです。自分でそれに触れ、対話しながら人

内なる導きとともに在る歩み

内に感じる導きを、何よりも大切にするように。誰かと比べることなく、誰かに確認するのでもなく、ただ、自身の内に確認するように。もしそれで失敗し

絶望と恩寵

私は絶望と恩寵を分離していたけれど、そもそもそれが間違いだったのかもしれない。絶望の瞬間にも、恩寵とともに在ることは可能なのではないか?と思

内なる導きに応える人生

エゴの都合で諸々作り上げた価値観や願望というのは、しばしば内なる導きとは相容れないものであることがあり、そして、絶対的に正しく優っているのは

与えられた恩寵と永遠の命

自分で問い、自分で答えを見つけていく。そういう力が身についてなければ、ただ可能性があるだけで、ダイヤの原石は原石のまま。素晴らしい才能があっ

恩寵の海の中にいて

不満に思ってしまうことの奥に、何を見るか。こじつけで、無理やりこれで良かったんだと思い込むための言い訳ではなく、本当にその恩寵に触れることが

霊性の深まりを求めるということ

私たちの存在は、どんな学びから入っても、突き詰めていけば、必ずスピリチュアリティ(霊性)を避けては通れません。芸術もスポーツも文学も、あらゆ

自ずから満たされていく感覚

私たちは、何も心配しなければ、自ずから満たされてしまうのが本来の姿なのです。埋めなければ!と必死になるほどに、埋めるべき欠けを作り出してしま

神との対話

自分の考えを差しはさまないで相手の伝えてくるものを聞くというのはなかなかに難しいな、と思いました。神との対話のことです。もちろん

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