「やっぱり私は無力でいよう」という選択

ふと、つくづく人は自分の本当の力を
恐れているのだな~ということを
思いました。

人は、自身の無力さを恐れているようで、
実は本当に恐れているのは、その逆で、
自身の力を恐れているのです。

どういうことかというと、
自分の無力さを嘆くストーリーを掘り下げていくと、
無力さに安住したがる思いが出てくることが
あるのです。

無力さを嘆いているというのに、
なぜ無力な自分でいたがるのか?と
そこをさらに掘り下げていくと、

自身のパワーを発揮したが故の痛みの記憶
とかが出てくることがあります。

すなわち、パワフルな自分になって人の気持ちも
省みず好き放題やって村八分になってものすごく
淋しい思いをしたとか、

金と権力にものを言わせて圧制を布き、
人々から憎しみと恨みを受け取ったとか、

自身の能力を生かしたかったけれど、
失敗して人々に多大な被害を与えてしまったとか。

まぁ色々なパターンはあるのですが、
要は自身の力を存分に発揮したら、
辛い思いをした、というところが
共通しています。

だから、もう二度とこんな思いはしなくて
済むように、自分の力なんて発揮しないで
無力でいよう。

と、魂のどこかで決めたんですね。

だから、この人が自分の力を取り戻そうとすると、
「それは危険危険!」と、ブレーキがガチっと
入るのです。

やっぱり私は無力でいなくっちゃ。
ってね。

そういう目に遭ったとき、
二通りの選択があると思います。

一つは、上記の選択のように、
自らを無力にしておくこと。

もう一つは、結果は真摯に受け止め、
失敗の種をしっかり摘み取り、
二度とそういうことを起こさない、
自身の力を的確にコントロールできるような
自分になることです。

ワークで掘り下げていって出てくるのは、
ほとんど前者ですね。

失敗した~!
もう二度とあんな思いはごめんだ~!
じゃぁ使わなきゃいいじゃん!
って選択ですね。

単純で後者よりもずっと簡単ですけれど、
長くしこりを残し、かなり自身に制限のある
生き方を強いることになります。

一方後者は、簡単ではないかもしれないけれど、
しこりは残さず、さらにパワーアップ&
スキルアップした自分として、自在に
自身を表現していくようになるでしょう。

このように並べてみて、さてどちらがいいか?
と問えば、ほぼみなさん後者を選ぶのですが、

では後者の選択にもれなくついてくる

事実に直面し、認めること、
湧き起る気持ちをしかと受け止めること、
責任転嫁を止め、どこかに飛ばしていた責任を
自身で引き受けること

などなども「やります!」と即答できる方は
なかなかいません。

そこも含めて、の選択でなければ
意味がありませんのでね。

ワークで提示される様々な問いかけは、
結局のところ、

あなたはどうするのか?

という在り方を問うところに行きつくわけです。

それを決めることを恐れてもいいけれど、
その恐れすらも受け止めて進むのかどうか
ということなんですね。

恐くても、進むことは可能ですから。
(恐れを抑圧して進むのではなく、
統合していけばいいわけです)

自分を無力にするために、
エゴはありとあらゆる手段を用いて
「だってできないよ!力が無いんだもん!」
って言い張るのですが、

それだけ自分を無力にできる力がある
ってことでもあるんですよね。

それはすごい力だと思います。

自分を煙に巻いてわけわからなくする力とか、
外部の力(神や悪魔などとの契約など)を用いて
自分の力に封印をかける方法とか、
山のようにできない言い訳を作り上げる力とか。笑

要は、その力の使い方の方向性ってこと
なんだと思いますが、

そうした様々な無力でいるためのあらゆる抵抗
の試みにぶち当たるたびに、傍から見て
「なんてパワフルなんだろう」って
感嘆せずにはいられないのです。

書きながら、そう言えば、と思い出すことがあって、
「自分は無力だ」と言い張る人に共通する
ある傾向があるんですね。

自分で自分をどうにもできない状況にしてしまって
硬直状態にしている人です。

そういう方は、大抵何かスピリチュアルな契約が
入っていて、自分の意志を何者かに譲り渡して
しまっていることがかなりの確率であります。

自分が決めるとろくなことにならないので、
代わりに誰か私の人生を決めてくれって
やってるんですね。

それから、自分の体を何かしらのエンティティに
委ねてしまって、自分自身は「今ここではないどこか」
に出張して帰ってこない。

帰ってしまうと、感じたくない、引き受けたくない
ものがわんさかのしかかってくるので、
帰るのは嫌だって逃げてるんですね。

自分の中にエンティティを引き入れている方は、
私の経験では結構手ごわいなぁと思います。

エンティティ自体がってわけじゃなく、
自分が自身の人生に帰ろうとしていないので、
そもそも戻るためのセッションが成り立たない
という意味において、「手ごわい」のです。

こればっかりは、自分で在り方を決めてもらわないと、
私にはどうにもできないですね。

その人が、本当に自身の人生を引き受ける
と決めれば、サポートはいかようにもできる
のでしょうが、

その人に「決めさせる」ことは
私にはできないので。

自分の在り方は、自分で決める。

そして今のその在り方は、自覚のあるなしにかかわらず、
自身の選択の結果である、ということを
深く受け止めるべきだろうと思います。

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