自分の人生を祝福して死ぬ

人生で避けられないものの一つが
人間関係だと思いますが、
望むと望まぬにかかわらず、

本当にありがたいと思うこともあれば、
死ぬほど苦しいこともありますよね。

サロンでも苦しい人間関係についての
ご相談は絶えることがありません。

布団かぶって嵐がやむのを待っていても、
何の成長もないことは考えてもわかる
と思いますが、

感情解放ワークの世界観では、
差し出されたメッセージを受け取り拒否
するほどに、メッセージの内容は
重く、深刻さの度合いを増してくる
というのがあるんですね。

なんでかというと、それはメッセージを
差し出してくれている側の視点に立つと
わかります。

私たちも、本当に自分が困っていて
一刻も早く改善してほしいことを
担当者に伝えた時、

その人が無視したりのらりくらりとかわして
まるで取り合ってくれなかったりしたら、
声を荒げ、聞いてるのか!
ってなりませんか?

だめだこりゃ、
で済ませられればいいですけど、
そうも言っていられない時、

何としてでも相手に聞いてもらうためには、
ありとあらゆる手段を講じて首根っこ
掴んででも聞かせてやろう!
ってなりますよね。

それが、今目の前で起こっている
目を覆いたくなるようなひどい出来事
なわけです。

もっと早くに聞く耳を持って対処していたら、
こんなにも重いメッセージは必要なかった
はずです。

でも、実際に私たちは、それが対処すべき
メッセージだということになかなか
気付きません。

相手がどうしようもないバカなのだ、
と見下したり、責めたり、無視したり
無いものとすることによって、

自分がこんなにも苦しい思いをするのは
相手のせいであり、自分には何ら
落ち度はなく、どうしようもないことなのだ
ということにして、

相手が自分の人生から消えてくれるのを
待つか、自分がその状況から離れる
選択をするのです。

ここで注意したいのは、
差し出されているメッセージの内容を
受け取ってなされるべき方向転換がないままに
状況だけ変えても、

移動したその先で、また同じような問題を
繰り返すことがしばしばあります。

移動すること自体を否定するものでは
ありませんが、そうするのなら、
しっかり自分が何に気付くべきだったのか、
真摯に向き合い、受け止めるべきだろう
と思います。

セッションでは過去世のストーリーも
よく出てくるのですが、時代も国も性別も
身分も立場も家族構成も違うような
そのストーリーの中で、

今現在抱えているのとまったく同じ構造の
ストーリーを生きていたりするんですよね。

よく、どうしようもない人に向かって
「○○は死ななきゃ治らない」なんて
言いますけれど、

こういうのを繰り返し見ていると、
○○は死んでも治らない。って
確信を持って言えます。

正確に言えば、
ただ死んだだけじゃ治らない、
ってなりますかね。

ただで死ぬな。
死ぬなら、その瞬間まで這いつくばってでも
何かしら、生きて気付き、成長した証を
掴んでから死ね!って思います。

もういい年だし、とか
あれもないしこれもないし、
あーだからこーだから

だからもう自分はいいんだ、
とかウダウダ言ってないで、

たとえ歩けなくなっても
日がな一日ベッドで過ごすしかなくても、
意識がまともにあるのなら、
まだこの世界に生かされている時間を
無為に過ごすのではなく、

その自分にできる精一杯のことをして
意識が肉体を離れるその瞬間に、
自分の人生を少しでも祝福できるようになって
死ぬべきだ、と思うのです。

少なくとも、自分の人生を否定し、
呪ったまま死んではいけません。

その呪いの種を抱いて
次の人生を始めなくてはいけなくなる
からです。

けれど、やろうと思えばそんな呪いなど、
解けないはずはありません。
自分でかけた呪いなのですから。

ただ、その苦しさに触れ、
引き受ける勇気さえあればいいのです。

人は、苦しさのあまり、しばしば
それを引き受けさせるための「悪者」を
自分の世界に作り出します。

こいつが居るから、これがあるから、
自分が苦しいのはこれのせいなんだ!
と言って責めたいんですね。

でも、これをやった途端に「被害者」
という甘美な罠にはまります。

ある意味、苦しいけれど心地よく、
本当は「逃亡者」たる自分の「罪」を
体よくそれに擦り付けて、
逃れられるからです。

その一方でその人は「無力感」と「無価値感」
「絶望感」などの代償を払って、
「どうしようもない希望のない世界」に
囚われるのです。

生気もなく、ただ倦んだ人生に疲れ切って
ゾンビのようにして生きている人の
何と多いことか!

どうしても避けることのできないこと
であるなら、甘んじて受け、そして
そのことの意味を人生に問い続けたら
良いと思います。

自分は何に気付くべきなのか、
何から逃げているのか。
何を受け取るべきなのか。

答えはいつ来るかはわからないけれど、
自分の問いは聞かれていた、
と気づく日が来るでしょう。

人生のすべての瞬間に、祝福を。

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