意識の感受性で見えなくなるもの

昨日は、鎌倉近郊にすごく良い温泉がある、
ということを友人から聞いたので、
その友人に連れて行ってもらいました。

他に行きたいところは?と聞かれて
地図を見たら、たまたま江の島が近かったので、
そう言えばもう何十年も行ってないな、
ということで江の島探訪もかねて
行ってきました。

で、そこで諸々感じたことについて
書いてみます。

古くからの信仰の場が観光地化して
本来の祈りの場としての意味を見失っていく
と言うのは全国津々浦々、見かけること
ではありますが、

江の島のそれは、
なかなかにドギツイものがあるなぁと
個人的には思いました。

昔から、そういう信仰の場は
俗と聖が入り混じって独特の空気感を
醸し出すものですが、

俗が強くなって聖の部分が薄まると、
ただのハリボテのパビリオンみたいな感じに
見えて、何とも滑稽な印象になります。

どこがどうとは具体的には書かないけれど、
どうだ、すごいだろう!お賽銭や入場料を!
みたいな仕掛けがあちこちに。

その照明や、像は何のために置かれているのか、
と思うこともしばしば。

こういう場所にレジャー的な要素が
あってはいけない、ということではなくて、

あったとしても、それは祈りの場としての
意味や役割を尊重したうえで、
人々も聖なるものに自然に触れ合い、
その経験を楽しめる形のものであるべき
なんじゃないかなぁと、

私ごときが言うのも何なのですが、
思ったのでした。

この違和感をもう少し説明するならば、
聖なるものの感性をまったく関知しない人が
土足でその場に踏み込んで、

あまりにも「何も面白いものがない」
と見えたので、見た目に派手派手しい
像や照明をせっせと設置して、
「目に見える、いかにもありがたそうなもの」
を演出してお金を稼いでいる、
ように見えてしまったのですね。

けれど、「何もない」と見た人の目には
見えなくても、そこには厳然として
見えない「何か」がありました。

けれど、そこに土足で踏み込み、
ごちゃごちゃと様々なものを持ちこんで
その繊細な「何か」を悪趣味で塗りつぶし、
台無しにしてしまった。

そんな風に感じられて仕方なかったです。

もし、聖なるものをもう少し感知する人が
この場にレジャー的要素を取り入れようと
したならば、

聖と俗がもっと噛み合うように企画し、
作ったのではないかな、と思います。

ここは、全くかみ合ってない気がして、
大分がっかりした、と言うのが正直なところです。

あるいは、祈りの場としての力が先に薄れたから、
こうなってしまった、と言う可能性もあります。

そうだとしたら、それはそれで淋しいですね。

もちろん、これも私の思い違いかもしれません。
でも、私がこう感じた、ということは
事実なので、ここからさらに
思うことをもう少し書いてみます。

江の島に限らず、
様々なところに、様々な記念碑などが
建っているのをよく目にしますが、

そういうものにも、
実は建てた人達の思いや意図の
エネルギーが籠ります。

たまに、国と国との友好を祈念して
建てられた古い碑や建造物などを見ると、
その丁寧な作りやバイブレーションから、

当時の人たちがどれほど温かい思いで、
信頼関係を築き、願いを込めて
これを建てたのか、というのを
肌で感じる時があります。

そういう建造物は、時代を経ても、
そこで友好のエネルギー的な柱として
密かに機能していることでしょう。

これが例えば、非常に霊力のあるお坊さんが
国の防衛や発展を願って全身全霊で
楔を打ち込むようにしてその場所に
碑などを建てて入魂するならば、

それは、千年を超えてなお機能し続ける
結界として残ることがあるでしょう。
(実際、ありますしね)

けれども一方で、形ばかり立派で、
そうした温かな心のぬくもりも感じられず、
粗雑で表面的なエネルギーしか
読み取れない建造物も多くあります。

スカスカなんですよね。

見ても、何ら心に豊かなものを
呼び起こすこともない。

たとえるなら、
職人さんが丁寧に仕事をした作品と、
型やプリントによって大量生産された
量産品の違い。

あるいは、
料理人が素材から選び抜いて、
心を込めて仕事をしたお料理の繊細さ、
心を満たす、もてなしの精神と、
レトルトや冷凍食品で工業的に量産された
食べ物の味の違い。

そういう違いを感じ取る感性を、
私たちは元々持っているはずなのですが、
使わなかったり粗末にしていると、
どんどん退化していきます。

私たちは、物質のみを栄養にして
生きているのではありません。

そういうものを汲み取る感性を
退化させてはいけない、と思います。

自ら意識を向けて、
磨いていく努力も必要でしょう。

この日一日歩き回って、途中では
空がかすんで全く見えなかった富士山が、
最後にうっすらとそのシルエットを
表したときの存在感は素晴らしかったです。

これほどの存在感を持っている富士山が
そこにあるのに、環境要因で
さっぱり見えなくなるということと、

私たちの意識の感受性で見えなくなるものがある
ということが重なって、何か色々
思うところの多い一日でした。

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