自分の中に転写された親の恐れや不安について

今日は自分の人生を振り返りつつ、
親子関係について、
つれづれ思うところを書いてみます。

子供にとって、言うまでもなく、
親は実に大きな存在です。

親が作る価値観、世界観を通して
子供は社会とはこういうものだ
という認識を形成していくところが
ありますね。

子供が社会にどんな風に関わっていくか
というところに、親が持っている
恐れや不安、信頼や喜びが
結構そのままの形で転写されている
と思うことも、しばしばあります。

私が自分に転写された親の不安の要素に
ハッキリと気づいたのは、割と最近です。

あるとき、母が自分一人であることを
しなければならないという状況に
直面したときに、

傍から見てもはっきりわかるほどに
不安と緊張で顔が硬直して
ガチガチに固まっている姿を見ることが
ありました。

そのやらなければいけないこと
というのは、そんなに難しいこと
ではないのですが、母にとっては
馴染みがなく、明らかに心の中では
混乱の嵐が吹き荒れているのが
見て取れました。

その姿を見たときに、
私は、これは子供の頃の自分に
瓜二つだということに気づきました。

私も良く、この社会でみんなが
普通にできること、やっていることを
理解するのにものすごく混乱して、
不安と緊張でどうしたら良いかわからず、
固まっていることの多い子供でした。

幼稚園では、卒園するまで、
登園時は1日も欠かさず泣いていましたから、
先生方にはいつも泣いている子、と
有名でした。

小学校では泣きはしなかったけれど、
とにかく人間社会でやっていることが
さっぱり理解できなくて、いつも
ぼ~っとしている劣等生でした。

そして、みんなができることが
普通にできないので、
いつも、今度は何をするんだろう?
と新しいことが不安でしたし、
自己評価も非常に低かったです。

その状態で、
習い事をたくさんさせられていたので、
できない、わからない、と言う経験が
さらに輪をかけ、劣等感の塊のような
子供でした。

それが中学生に上がったくらいから
人格が変わったようで、今の時点で自分は
人間社会では何をすればよいのか
と言うのがやっとわかったころから
それを頑張ったので、

今度は劣等感の反動で、
歪んだ優越感を持った不健全な人格が
形成されていきました。

どちらにせよ、心の中は満たされない
辛さや淋しさで一杯でしたし、
子供時代に良い思い出はあまりないですね。

そうこうして
大学を卒業して社会人になった時、
色々な意味で、苦労したなと思いますし、
後に家族にも大きな迷惑と心配をかけた
出来事を引き起こすことに繋がっていきます。

その出来事の後、数年間は心身ともに
かなり辛い時期が続いていて、
なかなか自立できなかったですね。

社会に自分の居場所があるようには
到底感じられなかったし、
恐くて仕方がなかったのです。

そんな時期にたまたまご縁をいただいた
新聞社の職場は、破天荒な人が多かったし
社員みんなが家族の様な古き良き日本企業の
温かさがあったので、のびのびと
仕事ができて、自分はここにいて良いんだ
という社会への足掛かりを作ってくれた
ご縁でした。

それから数年後、自分がまさか
ヒーラーの仕事をするなんて夢にも
思ってませんでしたが、

自分に向き合い、たくさんの未完了の
感情のわだかまりを癒し統合していく中で、
人生に起こった様々な出来事の根っこに
親子の間の絡み合った愛憎があることが
繰り返し何度も出てきました。

ドロドロに淀んだ被害者意識と
恨み、怒り、憎しみの感情は、
なかなかに手ごわいものでしたが、
決して終わりのないものではなく、
適切に取り組んでいけば、
いつかは終わります。

親も、自分が感じたこの苦しみ、
淋しさ、恨み、怒り、劣等感、不安
などを抱えながら子育てをしていたのだ
ということが今ではよくわかるので、
よくやってくれたな~と感謝です。

こういう感覚は、理屈ではないですね。

頭で納得しようとしても、
それは収まらないでしょう。

ただ、自分の中のたくさんの
インナーチャイルドを癒してきたからこそ、
自然にその思いが湧き、

あの大きかった親を一人の対等な人間として
見ることが出来ます。

そのような視点で親を見たときに、
親の中に癒されないままの
小さな子供がいることが
手に取るようにわかるのです。

そして、そのインナーチャイルドが
如何に働き、あの言動を作っていたのかも
理解できます。

満たされない子供を抱えたまま、
必死で子育てしていた親を思うと、
親業を全うしてくれたことに、
本当に感謝だな、と思います。

今では互いに言いたいことを言い合って
そこそこ良い関係を築いていると
思いますが、

年を取るほどに母は、
まるで少女の様な子供っぽい
純粋さを見せてくるようになりました。

その様子が何とも微笑ましいというか、
面白いな、と思うのですが、
母の今生の一つの役割が終わって、
背負っていた重荷が下りたので
素の自分を出せるようになってきた
のかな、と思ったりもしています。

自分の鏡である母の中の
不安と緊張、混乱の要素が
もっと癒えていくように、
自分の統合作業をさらに頑張って
いきたいと思います。

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