人生の神秘への扉

日々色々あって、
やらなくちゃいけないことで
一日が忙しく過ぎて行って
しまうのですが、

そんな中でもふと立ち止まって、
本当に今自分がここに在る、
ということにだけ、意識を向ける
瞬間を持つようにしています。

やらなくちゃいけないことは
確かに日常生活を送るうえで
大切なことではあるのですが、

それは人生を生きることにおいて、
今ここに在ること以上に優先されるべき
ことだろうか?と問うてみると、
必ずしもそうではなかったりします。

少しお休みしたり、後回しにしても
さほど問題ではないので、
私は今、ここに居よう。
そう思って、ひと時、
その時間を味わいます。

ずっと昔、深く心で触れる交流を
望んだ人がいたけれど、
その人は表面上は触れ合うようでいて、
肝心なところでは決して心を合わさず、
目を逸らしていたな、ということを
思い出しました。

私はそれをとても悲しく淋しく
思っていたけれど、それは人生に対する
私自身の態度であったな、と
今にして思います。

私の心は常に何か別のことで忙しく、
決して人生の本質に心を向けよう
とはしていなかったのでした。

今、その在り様を改め、
じっと、人生の深奥に
心を向けています。

そうすることは、今の私には
なかなかに心がざわつくものがあって
決して居心地は良くないのですが、

これこそが、今ここに在ることを
無意識に忌避させているものの
正体でした。

それは、これまでの人生で
様々に乱れた心のまとまった
エネルギーの塊のようで、

奥深いところで
私の意識が今ここに在ることを
妨げるうねりとなっていました。

それでも構わずに意識を
人生の導きに合わせ続けていると、
少しずつその揺らぎやうねりよりも
もっと深いレベルに波長が合ってきます。

今、そこに意識を合わせているのは、
私は人生の導きを受け取る、という
明確な意志によります。

今までは、
そのコミットメントがなかったので、
ただただ私の意識はそれらのノイズに
飲み込まれ、逸らされ、
頭では求めていると言いつつ、
実際には逃げていたのでした。

人生の神秘への扉は、
いつでも、誰にでも開かれていますが、
そこには明確な意志がないと
辿り着けないし、触れられもしないのです。

なぜなら、それは重要性を認識されず、
最も後回しにされがちで、
そうしている内に、人生のタイムリミットは
刻々と近づいてきて、時間切れに
なってしまうからです。

深い目覚めた意識のマスター、
レナード・ジェイコブソンは、
今ここに在ることを最優先にしない限り、
目覚めることはできない、と言いますが、
まさにその通りなのです。

深く、瞳の奥で対話するように、
人生と対話する。

その瞳の奥で語られるものを
受け止める準備が自分に
できているだろうか、
と問いながら、向き合い続けます。

どこか、いつも逃げ腰の自分が
いるのですよね。

ちょっと目を逸らしていた方が楽
という感じがあるのです。

人は、もっともっとと欲しがるのが
常ですが、その一方で、本当に
受け取る準備ができていることは
稀ではないかと思います。

人生が、自分に本当に受け取ってほしい
と願っているものを、受け取ろうと
意識を向けるときに、

それはそう簡単ではない
プレッシャーのようなものを
感じます。

何というか、襟を正して
慎んで受け取るようなもので、
軽々にそれができる、とは
言い難い感覚があるのです。

決して受け取りたくない
わけではなく、抵抗している
とも違う、奮い立つものが要る
感じなのですね。

今必要なのは、貪欲に求め、
欲しがることではなく、
与えられるものを受け取る勇気
なのでした。

今までにないくらい、
とてもとても精妙な段階に
来ているようです。

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