その人の中にある概念が、
実体験から来たものであるのか、
誰かの概念を取り入れた
受け売りなのか、エネルギー的には
明らかに違いがあります。
セッションでリーディングをしていると、
しばしばその人の中で異物のように
馴染んでおらず、浮いている概念の
エネルギーを読み取ることがあります。
どんなにその人がその概念を繰り返し、
自分はそのことを良く知っている
と思っていたとしても、
そういう状態を見てしまうと、
本当のところは何もわかってはおらず、
血肉となってはいないことが
一目瞭然なのです。
たとえば、私はよく内なる神や導き
という概念をお伝えしていますが、
その人自身が本当にそれに触れ、
それを生きるまでは、どんなに
日々意識してそれを求めていようと、
本当にはわからないのです。
けれど、いったんそれに触れ、
それが何であったのかを
「思い出す」ことができたら、
もうそれを見失うことは
ありません。
以後、その人は生涯それに導かれ、
それを生きていくでしょう。
誰かそれを良く知る人が
聞きに行って、翻訳して
伝えてくれればいい
というものではないのです。
必ずそれは、自分自身で触れ、
体験しなければなりません。
にもかかわらず、
それを自分には無縁のもの、
自分にはできないこと、と
遠くに考え、追いやってしまう人も
少なくありません。
これは、特別な人にだけ許された
特権なのではなく、本来は
私たちに当たり前に備わっている
機能なのです。
ただ、長い間の洗脳や封印によって、
断絶しているだけなんですね。
私たちの中には、
自分がどう生きればいいのか
知っている叡智があります。
何もかもを頭で把握し、
理解していなくても、
心臓は動いているし、
食べ物を食べれば、
体は自動的に一連の消化活動をして、
排泄まで起こります。
体温は生きていくのにちょうど良い
温度に常に調整され、異常があれば、
直ちに反応します。
それもこれも、生命の叡智によって
起こっているわけです。
肉体レベルでもこれだけのことが
起こっているわけで、それがさらに
精神、霊的レベルにも起こっています。
傷ついた精神や魂が、
どうやったら癒えていくのか。
この命、この自分という個性を
いかに生きたら良いのか、
個を越えて、深いところでは
良く知っているところがあるんですね。
そこに意識を向け、心を澄ますのです。
じ~っとチューニングして、
ゆったりとその叡智のリズムで
呼吸します。
人生の迷子になってしまった時、
どうぞこれを思い出して、
焦ってジタバタするよりも、
自分の深いところに意識を向けて、
静かにチューニングしてみてください。
そうして、誤魔化しや嘘を排し、
今の自分にできることを
着実に、丁寧に行っていきます。
目先の易き一時の楽に逃げぬよう。
そうしていくと、
ちゃんと道は開き、整っていきます。
こうして、導きとともに
人生のあらゆる場面を
生きていくのです。
内なる神との出会いは、
本当に自分の準備ができた時、
しかるべきタイミングでやってきます。
何ら焦ることはないけれど、
求め、歩み続けていてください。
深く深く、ご自身の内に
真実なるものを求めてください。
あなたの命の旅路に、永遠なる祝福を。