人は、何か自分にとって
都合が悪いことがあると、
微妙に真実を歪めて
自分や他人に嘘をつきます。
その嘘も様々なパターンがあるのですが、
エネルギー的に見れば、嘘のところで
常ではない乱れたパターンが生じるし、
何より、その人自身が自分から離れて
浮いている、独特の印象があるので、
バイブレーションも呼吸も、
とても浅くなります。
だから、声が上ずったり、
妙に響かない、薄っぺらい声
になるのです。
意図的に嘘をつく場合もあるでしょうし、
無意識に嘘をつくときもあるでしょうが、
息を吐くように日常的に嘘をつく人は、
相当に内面的な分離が進んでいると
言えるでしょう。
本人にとって気付きにくい嘘
というのもあって、一つ例を挙げると、
自分のことなのだけれど、
主語を誰かにすり替えて、
さも自分のことではないように話す
嘘があります。
たとえば、
飲み会で自分が早く帰りたいのだけれど、
○○ちゃんが帰りたがっているので、
と他人をダシに使って自分のニーズを
叶えようとしたり、
私がそれをしてしまうと、
子供が淋しがるだろうとか、
母親が悲しむから、など、
色々な状況の言い訳に、
他者を使うんですね。
けれど、その人がどれだけ本当に
彼らの気持ちを感じ、受け止め、
理解しているかというと、実は
あまり触れてなかったりします。
本当に淋しかったり悲しんだり
苦しみ、恐れているのは、
他でもない自分自身なんですね。
その自分の真実に目を背け、
蓋をしてないことにしています。
でも、それだと
気持ちは落ち着かないので、
どうにかして収めなくては
なりません。
無いことにしたものに
対処することはできないので、
そこで他者を使うのです。
こういう表現をしばしば使う人は、
自分の人生に対して
主体性を失っています。
自分の気持ちを受け止め、
表現するなど、適切に応答することが
できないので、
単なる抑圧に留まらず、
内面が非常に混乱している
ことが多い印象です。
ある意味、
自分が自分であることを
拒否している、あるいは、
受け止めきれていない
とも言えるかもしれません。
こうした混乱を収めていくのは、
ある程度のプロセスを踏んでいく
ことになると思います。
まずは、自分が隠してしまった
本当の気持ちに気付き、認めること。
そして、いかに自分に都合が
悪いことがあろうと
現実を認め、受け止めること。
ここは本当に本人がコミットメント
しないと、難しいでしょうね。
自分が何から逃げているのか、
責任転嫁や言い訳が癖になっている人は、
被害者意識に陥っていて、
自分が果たすべき責任の意識が
抜け落ちているケースが多いです。
だから、逃げているという認識も
なかなか持てないのですが、
自身の内なる力にしっかりつながり、
責任を果たしていくことで、
大きく人生を転換させていくことは
できるのです。
本人の意識次第ですけれどね。