何だかんだで怒涛のお盆が
終わりました。
(東京のお盆は7月なので)
毎日のお膳を作るのは大変だったけれど、
何とかご機嫌よくお帰りいただけて
いたら良いな~と思いました。
そんなお盆期間中に、
ある出来事があって、色々と
気づくことがあったので
書いてみます。
きっかけは、お盆の時にお供えする
お迎え団子というのがあって、
それを弟に、こちらに来るときに
買ってきて、と頼んだことに
始まりました。
我が家の行きつけのお店では、
赤、緑、白のお餅がこしあんに
絡められたもので、亡き父が
大好きだったものなのです。
弟は奥さんに頼んでおいた
ようなのですが、奥さんは
地元の人ではないので
それがどんなものか知りません。
一応、近所の和菓子屋さんに聞いて
それらしきものを買ってきて
くれたのですが、
結局それは目当てのものではなく、
単に白いお餅が月見団子のように
小さく丸められたものだったのです。
因みにそれは、送り火の時にお供えする
送り団子と呼ばれるもので、
お迎え火の時にお供えするもの
ではありません。
ちゃんと伝えなかった弟も弟なのですが、
これは誰も悪くないし、仕方がない
ということで、家に備蓄してあった
出来合いのあんこをトッピングして
間に合わせました。
まぁ、父もあんこがあれば
文句は言わないでしょう。笑
そんなことがあって、
何をどう伝えるかとか、解釈
ということについてその晩、
色々考えました。
父と共に過ごした家族なら、
そのお団子にまつわる記憶があるので、
それをお供えすることで、
今は亡き人との記憶とつながりを
呼び覚ますきっかけになります。
お供えされる側の視点から見ても、
確かに覚えていてくれているんだな、
という絆を確認するサインになるでしょう。
これがたとえば、
その所縁を持たない人が、お盆の時には
別のお菓子をお供えしたとすると、
また意味は違ってきます。
気持ちを込めてお供えしてくれたのなら、
それはそれで意味あることでは
ありますが、
逆に言えば、この場面における
あの形、あの味のお菓子だからこそ
生まれる意味というのがあるわけです。
そこからさらに考えたのが、
様々なものごとのお作法という
ものについてで、
単に用を足すだけなら
その形、そのやり方、その品物でなくても
構わないけれど、どういうわけか、
面倒な様々な決まりごとがあれこれある
ということ、あると思います。
なぜそれがそのような形式になっているのか
その背景を知らない者からすれば、
別に何でもいいじゃん!となるのですが、
そこはそれで、
省いたり変えたりしてもらっては困る
ということがあるんですね。
そういうことを、もし自分が
何も知らない人に伝える側だったとしたら、
意味は分からんでもいいから、
とにかく変えないでくれ、
と思うだろうな、と思いました。
(もちろん、背景を伝える努力も
するでしょうが、微妙な心の機微
までは必ずしも伝わるとは限らないので
受け取った側が肝心のところをスルー
してしまうこともあるわけです)
時が流れても、
変わらず同じ作法で同じことを
続けていくことの中に、
こちらの世界からあちらの世界へ、
あの時のあなたのことを、
忘れていませんよ、
というメッセージになることが
あるのではないか、と思ったのです。
そういうことが、
各地に繋がるお祭りの中にも
隠されていたりするのではないでしょうか。
とかく色々なものの本質的な意味が
忘れ去られていく中で、それでも
続けられていくことの意義を
思ったこの年のお盆でした。