人はごく表面的な見た目だけ
見ていたのではわからないものだ、
とつくづく思います。
けれど、見る目があれば、
言葉遣いや所作の端々に表れる印で
その人の奥深くを知ることも
できます。
この人は、
どんな風に生きてきたのだろう?
目の前の人をどんな視点で見るかは
人それぞれだけれど、実は
見る側がどんな視点を持っているかでも、
その人の生き方を知ることができますね。
たとえば、
学歴や家柄、財産などから人を見る人は、
そういう基準を大切にして、そのために
生きてきているのだろうし、それによって
左右される人生を生きているとも言えます。
世間的な基準からは大きく外れるけれど、
独自の感性と力量によって生きてきた人は、
やはり相手を見るときもそういう側面で
人を理解しようとしているのでは
ないでしょうか。
人の持っている基準に優劣があるわけでも
ありませんが、その人が大切にしている、
重視しているものを知ることで、
ある程度その人の世界観や生き方、
努力の方向性などが見て取れるな、
と思うのです。
様々な方に接してきて、
その方が人生で積み重ねてきたものに
舌を巻くというか、ただただ感服するばかり
と言う方に出会うことがあります。
積み重ねてきたものの質と量が圧倒的で、
常人が一朝一夕でなせるようなもの
ではないわけです。
そこだけ切り取ってみれば、
人もうらやむような立場だったり
持っているものもあったりするケースも
あるのでしょうが、
今表面に見えているものの背後に、
一体どれだけのものがあったか。
そういうところを見る感性を持つ人なら、
わずかにその雰囲気が感じられるけれど、
本当にその歩みの密度、重さを知るには、
ある程度同じような道を歩んできた人
にしかわからないのだろうな、と思います。
ある意味、人間の可能性というものを
見せてくれている存在だとも思うのですが、
人と言うのはここまで磨き上げられる
ものなのだ、と遠く仰ぎ見るばかりです。
そんな方もあれば、
いつも明るく優雅に笑う素敵な人と見えても、
人知れず相当な苦労を重ねてこられたのだな、
とか、
他責思考で様々な場面で自分の責任を取らずに
逃げてきている人とか、他者に依存しながら
自分で立つことができずに葛藤しているとか、
今この瞬間にその人がどんな在り方を
しているのかを見ることで、それまで
どんな風に生きてきたのか、
それを続けていくとしたら
何が起こってくるのか、行く方、来し方の
おおよその流れが見えてきたしもします。
だからこそ、
今この瞬間に自分はどう在るのか、
何を刻むのかを意識するように
なりますね。
これまでがどうであろうと、
今この瞬間に、これまでとは違った選択をして
新たな道を刻むこともできるわけで、
必ずこれまでの延長線上の歩みを
辿らなければいけないわけではないのです。
けれど、漫然とこの瞬間を流していれば、
これまでと同じように反応するだけです。
遥かに及ばぬ達人のような人たちの
その在り方、歩みに感服し、ならう気持ちが
あるならば、少しでもその気概を取り入れ、
この一歩から変えて行きたいものです。
自分はどう在るか。
この人生に、何を刻むのか。
あらゆる下心や損得を越えて、
ただ積むからこその軌跡なのでした。