私たちは様々な場面、様々な方法で
都合の悪いこと、見たくないこと、
対応したくないことから
逃避することがあります。
逃避すること自体は、
生きていくために必要な場面も
もちろんあるので悪いとは
思いませんが、
その場合は、私は逃避とは呼ばず、
「適切に対処する」と表現する
ようにしています。
今回取り上げたいのは、
それではなくて、応答しなくては
いけないところで逃避すること
についてです。
私自身、すべてのことに
逃避しないで対処できているか
というと、多分そうではない
と思います。
多分、というのは、
認識できているところは
対処するようにしているけれど、
人間、死角があるもので、
すべて認識できているわけでは
ないからです。
対処するときも、
即座に対処するように
動けるときもあれば、
一瞬迷って、後回し、様子見、
ズルをしてしまおうと思ってから、
居心地の悪さから戻って、
やっぱりやろう!と軌道修正
するときもあって、
我ながら、まだまだ修行が足りんな、
とか思うことがしばしばあります。
まぁそんな人間が言うことなので、
そこそこで聞いていただければと
思うのですが、
逃避する人の意識を読んでいくと、
逃避という行動に至るまでの
どの段階で逃避が起こっているのか、
それぞれ違いがあるな、
と気づきます。
一番表面的なところでは、
わかっている、認識できているけれど、
やらずにスルーする人。
この場合は、行動することに
何かしら、ものすごく気の重さ、
失望感や絶望感など、色々な感情が
浮上してきて、身動きが取れなく
なっているのだろうと思います。
根の深さは色々だけれど、
自分が逃避していることを認識
できているので、あとはその手枷足枷
になっているものにどう取り組むのか、
という問題になります。
その次は、
最初はわかっていないけれど、
指摘されると気付く人。
割と感じる力、気づく力が生きていて、
気づいて自分がどう動くべきなのかが
わかれば、すんなり動けるか、
その方向に努力しようとされる方が
多い印象があります。
その次の段階は、
指摘されてもさっぱりピンとこない人。
指摘自体が妥当なのかどうか
という問題はありますが、今回は
妥当な場合と仮定すると、
こういう人は、これまでの人生で
おそらく何度も同じような指摘を
受けてきたり、気づきを促す出来事が
起こってきたはずです。
でも、本人の意識がそれに対して
ものすごく鈍く、霞がかかったように
なっていて、気づかないし、
あからさまに指摘されても
理解できないのです。
あるいは、指摘に対して
怒りが湧いてきて、他責したり、
全否定で聞く耳を持たず、
シャットダウンしたりします。
シャットダウンの場合は難しいですが、
ピンと来なくても、本人が何かしら
掴もうと努力する意思があれば、
結構時間はかかりますが、少しずつ
意識にかかった霞が晴れていく
こともあります。
ただ、割合的には、
かなり稀な確率のような気がします。
大半の人は、つるりつるりと
指摘やお知らせをかわして
結構大変な状況に突っ込んでいくか、
ギリギリのところでぶら下がっている
ような感じで、
その後は音信不通なので
どうされたのか私にはわかりません。
これまでの人生で、
何だか繰り返し同じようなことが
起こっているとか、
何度も違う人、違う場面で
同じような指摘を受けたことがある、
という方は、自分自身を振り返ってみて、
自分は何に気づくべきなのか、と
「真摯に応答する前提」で、
自身に問うてみることが大切です。
長くなったので、
では、逃避のスタンスから
実際にどうやったら軌道修正
していけるのか、については
明日続きを書いてみます。