人は、何か人生で苦しいことがあるとき、
責任転嫁をしたり他を責めることで、
自分を保とうとすることがある
と思います。
傍から見ると見苦しいものですが、
そう思う自分自身も、同じようなことを
していたりして、わかっていても
なかなかやめられないという
ケースも多いと思います。
頭でぐるぐるして
抜けられるものでもなく、
自分が本当に味わいたくない
気持ちや感覚は何なのか、
心と体でしっかり捉えるという
物理的な段階を踏むことです。
その苦しみが、もし、
責めている誰かや何かのせい
ではないのだとしたら、
どんな感覚、気持ちになるでしょう?
責めることでバランスを取っていた感情が、
そう問うことで否応なく浮上してきます。
やり場のないその気持ちを、
これまで誰かや何かにぶつけて
いたんですね。
それを止めようと思ったら、
単に出口を塞ぐだけではダメで、
行き場を失った感情を受け止められる
自分になっていないといけないわけです。
ここを精神論ではなく、
物理的に、不快なエネルギーを
この心と体でじっと受け止めていく
というプロセスを通過するのです。
逃げずに自分に留まって
命の呼吸とともに感じ受け止められれば、
その不快なエネルギーは統合され、
もう二度と誰かや何かのせいにして
逃げる必要が無くなります。
内面的な感情に取り組むというと、
多くの人は精神論で何とかしようとする
イメージを持たれるようなのですが、
逆に、そう考えてしまうから
マインドでぐるぐるしてしまって
抜けられないのだろうと思います。
内観というのは、
常識や良識、倫理観やある価値観、
信念などで自分の良し悪しをジャッジする
ようなことを言うのではありません。
私がお伝えしている感情解放ワークでは、
滞っている感情のエネルギーを緩め、
解き放っていくプロセスを
通過できるようにしていくだけです。
その途上で、様々な気づきからくる
変容が起こったり、内なる神に出会ったり
ということが起こってくることも
ありますが、やっていることは、
基本シンプルなんですね。
人はいかにして苦痛から逃れようとするのか。
それを観察していくと、
複雑に見える人間関係も、
癒しとは何なのかということも、
見えてくるものがあります。
どんなに時代や地域が変わろうと、
常識や価値観が変化しようと、
根本的な人間の行動原理というのは
そんなに大きくは変わっていないのです。
だから、
何百年も前の人間の御霊と対話できたり、
悪魔や魔物、神仏と契約解除の交渉をしたり
できるわけです。
人は、何かを恐れるがあまり、
普通だったら考えられないような
行動を取ったりすることが
しばしばあります。
それが弱さだったり醜さだったり
するわけですが、同時に、
それを昇華させたときに同じ人物が
かつての醜さからは考えられないような
愛や誇り高さ、輝きを放つことも
あるのです。
耐え難い醜悪さと
目の覚めるような美しさの可能性が、
同じ魂の中にあるんですね。
そのどちらが今、見えているのか。
ただそれだけのことです。
あなたの中に、優しさも意地悪さも
強引さも気弱さも、同時に様々な要素が
混在していると思います。
完全な悪人もいないし、
完全な善人もいません。
あなたを嫌いな人もいるだろうし、
愛する人もいるでしょう。
様々な要素がある自分を、
如何に受け止め、愛して生きるか。
私たちは、それを知るために
生きるのかもしれません。