固執しない軽やかな心

ものの見方が変わると世界が変わる
という体験をされたことが
あなたにもあるでしょうか。

自分が生きている世界が苦しい時、
様々な要素を一つひとつ変えたり
解決したりということをするよりも

自分の見方そのものを変えてしまった方が
早いということ、ありますよね。

けれど、これを頭でやると、
どこか腑に落ちないものを
無理やり飲み込むような感じに
なって、結局逆戻りしたりします。

感情解放ワークでも、
今まで硬く信じ込んでいた認識が
転換した瞬間に大きな癒しと変容が
起こることはよくあるのですが、

どうやってその転換に導くのかと
いえば、色々な流れはあるものの、
一番多いのは

「事実を確認すること」

でしょうか。

え?って思いますか?

その信念が、本当にそうなのか、
私たちは多分、ほとんど確認しないまま
何となく信じ込んでいることって
すごくあると思うんですね。

ちょっとした思い込みを持っていると、
そういう側面ばかりに目が行く
ようになり、

「ほ~らやっぱりそうなった!」

っていう体験を繰り返すように
なります。それがまた信念を強化する
っていうサイクルになっていくんですね。

けれど、最初の信念を疑い、
「ホントにそうなのか?」と注意深く
確かめてみたら、実はそうじゃなかった
ってこともあるわけです。

ワークの中では、たとえば
誰かが自分を嫌っているような気がする
というような場合。

まずは
「私はあの人に嫌われているようだ」
という認識から生じる感情を
受け止めるところから始めます。

その次に、意識を相手の視点に移して、
その人の中で感じる感情や感覚を
確かめます。

すると、嫌われていると思っていた認識は、
実は相手は自分のことが好きだった
けれど、どう接していいかわからなくて
ついつっけんどんになってしまっていた
だけだった、とか思いもしないような
ストーリーが出てきたりします。

え~!?そんなこと思ってたの?とか、
知らなかった、っていう事実に接して
初めて認識の誤りが修正されます。

相手を殺したいほど憎んでいたのに、
実はそのきっかけとなった事実自体が
存在しなかった、なんてことも
ありますね。

その事実があったからこそ、
世界は非情で思うようにならず、
とんでもなく酷いところだと
思っていたのに、

それがなかったのだとしたら、
この世界は一体どんなところだった
というのでしょう?

驚き、戸惑いながらもその人は
自身の世界を修正し始めます。

「事実の認識」は、あるレベルから見たら
どうやっても修正の余地がないケースも
あるでしょう。

けれど、別の視点から見たら、
その「修正の余地がない」と思えた
事実にも、まったく違った景色が
見えたりします。

その「別の視点」にいかに立つか、
というところがポイントでしょうね。

そもそも「別の視点」を見たい
と思うかどうか?

それを受け入れる余地を、
自分の中に持つ意思があるのかどうか、
ということがあります。

どういうことかというと、
常識的な視点から見たら、完全に自分に
正当性がある、というケースを
イメージしてみてください。

ここで別の視点を受け入れるということは、
ある部分で「自身の正当性を手放す」
ということも意味しています。

それを持っていれば、明らかに自分に
優位に働くものを、わざわざ手放そうと
するでしょうか?

傾向的に言えば、被害者でいることで
何かしら自分を守ろうとしている
部分がある人は、自身の正当性を
なかなか手放すことができません。

当然、被害者でいることは辛いこと
ですが、実はそこにもメリットが
あったりするのですよね。

自分の見たくないものを見ないで済むとか、
やるべきことをやらないで済むように
思えるとか、色々あります。

で、そういうメリットよりも、
そのポジションでいることのデメリットが
大きくなってきたとき、

自身の正当性を手放して別の可能性を
受け入れる余地が生まれます。

機が熟すわけですね。

たとえその出来事が何十年も過去の
出来事だったとしても、相手がすでに
この世の人でなかったとしても、

その出来事を総括し直すことは
やろうと思えばいつでも、いくらでも
できるのです。

硬直した視野を固めていたのは、
それにまつわる感情のエネルギーです。

それを丁寧に緩め、解いていくことで
しがみついていた手をゆっくりと
開いていきます。

そうして、相手の視野に入ったときに、
多分何かしら気づくことがあるでしょう。

相手も相手なりに感じていたものが
あるのであり、そう感じるに至った
その人なりの経緯があります。

そうしたものを深く受け止めて
行くことができたら、

言葉では言い表しようのない
気づきと理解、そして愛がやってきます。

そうだったのか、と。

その出来事が自分に起こった意味が、
本当に分かるんですね。

それは、人間目線の理屈では到底至ることの
できない、深い深い理解と愛です。

このとき、微妙に気づきから
身をかわしてしまうケースもあるのですが、
(抵抗ですね)

深く、その気づきにとどまることが
できれば、どんな憎しみもわだかまりも、
その瞬間に消えていきます。

ここに至るまでに、自分が逃げているものの
責任を引き受け、無防備になることが
必要なのですね。

固執しない心が軽やかで自由なのは、
あらゆるものの中に愛があることを、
本当に知っているからなのかも
しれません。

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