まどろみの中でしゃぶられていく魂
でも本人はボーっとしていて自覚がないので、その状態が結構心地よく居着いてしまって、なかなか離れようとしません。ぬるま湯につかっている、という
偽りの自分を脱ぎ捨てて、本当の「私」に帰る場所
でも本人はボーっとしていて自覚がないので、その状態が結構心地よく居着いてしまって、なかなか離れようとしません。ぬるま湯につかっている、という
つまり、自分の軸が取れていない状態で何か目先の理想像を実現しようとすれば、自ずから断片的な自分の切れ端を部分部分、力技でコントロールしようと
このとき相手に見ているその反応は、実は、あなたが自分自身に対して取っている態度にイコールなのです。つまり、相手が話をまともに受け取ってくれず
私は、どんな方のセッションをするときにも、その方の中で湧き出している感情のエネルギーをその方自身が受け止められない、ということはあり得ない、
節目を大切にすることは、そうした死と再生を繰り返して続いていく永遠の命を大切にすることでもあると私は思います。古来、私たちの祖先は、そういう
内側ではもう限界なのに、強がって平気な振りをする方は、自分の弱いところを人から責められたりからかわれたりした経験があると思います。親の教育で
自分自身の内に湧き上がるものから逃げずに、肚を決めて引き受けること。出来事など外側のものにどれだけ向き合えるかは、すなわち自分の内側をどれだ
道が見えないということもあるけれど、それは道がないということではなくて、まだ見つけていない道がどこかにあるということなんだと思います。それは
もし私が、その創造を邪魔しなかったとしたら。受け取ることを拒まなかったとしたら。受け取ってみよう。生まれ出でんとするものを、生まれるがままに
できる、と感じられればできてしまうし、できない、と思えばどうやってもできない。無数にある可能性のバイブレーションのうち、自分がどのバイブレー