無いと見えたところに可能性を開く術

希望は必然的に、失望の種を宿している。
ふとそんなことを思いました。

それでも私たちは、希望を抱いて生きていきたい
生き物であるようです。

人によっては、深い失望の痛みに打ち震えて、
こんな思いをするのなら、最初から希望なんて
無い方がいい!と希望を抱くことを拒絶する
人もいます。

けれどそんな生き方は、失望を抱えている自分を
隠して生きるようなもの。

その痛みから逃れられているわけではありません。

光を求めれば、必然的に同時に闇をも見出すわけで、
そのどちらか一方だけを拒絶することはできません。

大切なのは、光を求めながら闇に出合ったときに、
どうするのか、ということなのだと思います。

たとえば、夢を抱いてそれを実現させようと
様々なチャレンジをしたときに、誰しも
多かれ少なかれ夢には届かない自分の実力とか
整わない様々な条件に挫折を味わったりします。

そんなときに、あぁ自分はダメなんだな、
とそこで諦めるのか、諦めずに粘って粘って
実力をつけたり障害を克服して行くかで
失望が希望に変わるかどうかが違ってくるわけです。

だから、希望を抱くほどに人は失望を経験するし、
その希望が大きいほど、失望も深く、何度も
するでしょう。

栄光を手にした人は、その光の陰で
どんな闇を通り抜けてきたのでしょうか。

光は闇を含み、闇は光を含んでいる。

であるならば、失望のどん底にいる時、
そこにはこの上もない希望もあるはずです。

一寸先も見えないような闇の中で、
その光の兆しに目を向けることができるかどうか。

闇が覆いつくしたように見える世界の中で、
そのわずかに差し込む光の向こうに、
広大無限の光の世界を見ることが
できるかどうか。

小さな一粒の種に、何千年の巨木の
未来を見ることができるかどうか。

些細な、たわいもない、芥子粒ほどの。
そんな見るからに小さなものたちの持つ力を
決して侮ってはなりません。

いわんや、あなたの日々の、ほんの小さな
努力や決意、込められた思いをや。

小さきものの力を侮ることなかれ。
弱きものの力を侮ることなかれ。
微かな声のささやきを、聞き逃すことなかれ。

大きなものが必ずしも小さなものを
征服するとは限らない。

強きものが必ずしも弱きものに勝つ
とは限らない。

大きな声が、囁く声より遠くまで届く
とは限らない。

大きなもの、強きもの、声の大きなものよ、
己と反対のものの力を見くびってはならない。

それらには、お前たちには決して見えぬものが見え、
届かぬところに届き、動かせぬものを動かすのだから。

どこからか、そんなメッセージが降りてきました。

最近、いつも朝に唱えている祝詞に、
淡嶋神の祝詞を加えているのですが、
これは少彦名神の祝詞です。

少彦名の神様は、身丈小さく粟の船に乗って
やってきたと言われ、大黒様とともに
人々の病を癒す道を始められたという神様です。

降りてきたメッセージを見ながら、
この少彦名の神様のことが思い浮かびました。

粟の船に乗るほどに小さな神様なのに、
その功徳は計り知れず、偉大なる恩寵を
もたらしてくださいます。

故に、淡嶋大明神と呼ばれます。

毎朝祝詞を唱えさせていただきながら、
食が乱れ、行いが乱れ、心が乱れた世界を思いながら、
今のこの世を少彦名の神様はいかにご覧になって
おられるだろうかと、胸が詰まる時があります。

自分はまさに小さきもの、弱きもの、声の小さきもの
であるけれど、その小さな思いを正して
重ねていこうと思うのです。

そうすることで、闇の中にも確かに光を見出せる
自分で在るように。

光の中に闇を見、闇の中に光を見る。
それができれば、双方を自在に反転させることが
できるようにもなります。

それは、無いと見えたところに可能性を開く術
でもありますね。

まるで魔法!

「無い」は必然的に「有る」を含む。
その逆も然り。

両極の可能性が同じところに同時に存在している。
その可能性が見えたら、引き出せるわけです。

たとえば、お金が無いとすると、同時に
反対の可能性、お金が有るという可能性が見えてくる。

そもそも、お金が無いという状況がないのなら、
(有るということではないですよ)
無いも有るもないのです。

だから、お金が無いのなら、お金が有る
という可能性もあるわけです。

わかるかな~。

また別の例えを挙げるとすると、
感情を抑圧している状況があったとします。

ということは、同時に抑圧していない状態の
可能性もあるわけで、私はその抑圧していない
方の可能性にフォーカスして、そこに導くように
セッションしているのです。

意識をそこにピタリと合わせると、
無から有に至る道が自ずから見えてきます。

自分はどこに行きたいのかを明確にして、
たどり着きたい可能性を見ることです。

だから、
できない、わからない、無い状態にある人は
幸いです。

あなたはできるし、わかるし、有るようになる
可能性が確かにあるからです。

何だか今日は散漫だけれど、
こんな感じで。。。

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