苦しみへの共振と昇華

人生、ただでさえ色々あるのに
わざわざ苦しむネタを探してこなくても
良いとは思いますが、

調子のよい時も、いつもどこかで
「気づきなさいよ~」って囁く
お知らせはあるような気がします。

囁きの内に気づいて応答していきたい
というのが私のスタンスですが、
どうしても気づきにくいところって
あるんですよね。

意識していても、認識の仕方が違っていたり、
認識の限界点が浅かったり。

あるいは、逃げているつもりはないのに
微妙に逃げていたり、確信犯的に
放り出していたり。

いずれにせよ、どれだけ気づこうと
意識していても、死角というものは
自分一人ではなくすことはできないでしょう。

だから、それにちゃんと気づかせてくれる
お知らせが来るんですね。

自分が受け取る準備ができていれば、
それを読み解く手助けをしてくれる人が
現れたりすることもありますし、
介助してもらえることもあるでしょう。

ただ、どれだけそうしたサポートを
活かすことができるかは、
自分次第です。

目の前にそうしたサポートがあっても
気づかず、これじゃない、とスルー
してしまうこともあるでしょうし、

差し出された手をうまく掴めなかったり
することもあると思います。

もう駄目だと、行く道の辛さに絶望的に
なって諦めたり、ということも。

私も、何度もそういうこと、
ありましたね。

でも、行くべき道ならば、
必ず引き戻されます。

人によっては、
人生にまるで困難など起こらない、
という方も確かにいらっしゃるので
万人に共通することではありませんが、

困難辛苦を避け難く行かねばならないのなら、
我と我が身の不平不満でその苦しみを
濁らせるよりは、

その苦難を公に捧げるつもりで
歩んでみると、「我」の限界を超えたものを
見ることもあるのではないかな、
と思いました。

ただ、自分がみんなの代わりに犠牲に
なってあげるんだというような思いは、
エゴだと思います。

たとえば、末法の世と言われたような時代に
衆生を救うため厳しい修行に明け暮れた人たちは
多分そんな思いだったような気がします。

そんな人たちが為したことが、
どれだけ世の為になったのか、
目に見える形ではよくわからなかったとしても、

そのバイブレーションは確かに今の時代にも
生きて世の最も深い底辺を支えている
ような気がするのです。

自分のために何かをしているときは、
大した力も湧いてこないけれど、
無心で他者のために何かをしたとき、
自分のための時にはまるで出てこなかった
力が発揮されることがあります。

苦しみをただ自分のものとして
生きるのではなく、

そこに人類共通の何かを見ることが
できたなら、

理屈ではないところで深い理解が起こり、
自分の苦しみが昇華される瞬間が
あるような気がするのです。

私が今の感情解放ワークを生み出す過程で
ひたすら自身の痛みに向き合い続けていた時期、

自分がこの先どこへ行くかもまるで
見えなかったけれど、

この極めて個人的な歩みが、
私一人のものではない、という意識が
常にどこかにありました。

受け止める悲しみや苦しみや怒りや
憎しみの数々が、自分という枠を超えて
広大な領域に重なり、広がっているように
感じることもしばしばでした。

そして、そうしたものに触れる歩みの中で
時折やって来る強烈な恩寵の感覚に
ただただ打ち震えていることもありました。

そうしたとき、私個人を超えて、
その恩寵はあの無数に折り重なり
広がっていた領域にも、
確かに届いていたのではないか、
と思うのです。

深く相手の痛みに思いを寄せる眼差しを
向けたとき、その存在の長年の痛みが
和らぎ、昇華していくことがあります。

今の天皇皇后両陛下が、戦後の沖縄の人々の
長くわだかまった怨讐を解いていかれたのも、
そうした眼差しを注ぎ続けてこられたから
だと思うのですが、それと同じことです。

両陛下には到底及びませんが、
私もそういう、個人的な体験をしたことがあります。

これもサロンで何度もお話したり、
ブログに書いたこともある話ですが、

ある時期、私は家族の誰にも見られないときに
1人で仏壇に向かってこんな風に祈っていた
ときがありました。

「ご先祖様たちの中には、人に言えない苦しみを
味わってきた方もあるでしょう。
けれど、あなたがその苦しみを生き抜いてきて
くださったおかげで、今の私があります。
本当にありがとうございます」と。

仏壇嫌いの私がなぜその時そんな風に
祈っていたのか、さっぱり覚えていないのですが、
それは、私だけが知っていることのはずでした。

それからしばらく経って、遠隔である方の
ヒーリングセッションを受けたときに、

始まる前、「今日、あなたにどうしても伝えて
欲しいっていう方のメッセージがあるから
伝えるわね」って言われて、こんなことを
伝えらえました。

「あなたがそう祈ってくれたことで、
私は本当に救われた。ありがとう」と。

そのヒーラーさんは祈りの内容までは
言いませんでしたが、私には何のことか
思い当たるのはそれしかなかったので
すぐにわかりました。

誰にも知られていないはずの祈りが、
本当に通じていたんだな、と
初めて知った出来事でした。

その祈りをしたときに、私はご先祖様の
苦しみにどこかで共振していたのでしょう。

そのことが、私自身も、ご先祖様も
昇華させたような気がしています。

今日なぜこんな話を書いているのか
私にもよくわからないのですが、
必要な方がいらっしゃるのでしょう。

何か、気づきのきっかけになりましたら
幸いです。

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