生きることと怒り

最近、「怒り」の感情について
色々探求しています。

元々私は怒りの感情が苦手で、
感情解放ワークをしながらも
なかなか怒ることができませんでした。

多くの方が怒ることを抑圧していて、
怒り自体を禁じているのとは違って、
私の場合は怒りに対する虚しさが
怒りを表現することを阻んでいました。

怒ったって、何も変わらないし
どうにもならないじゃないか。

私が怒ったくらいでは、
相手は何ら痛手を負うこともなく
しらっとしているのだから。

そんな思いが湧いてきて、
とても虚しくなってしまうのです。

その虚無感に襲われると、
どんなに怒っていても、
私は無力感に飲み込まれてしまうのでした。

一番最初にこのことを自覚したのは
神に対する怒りのときで、
神に怒ったところで神は何ら
こたえることがない、という虚しさに
圧倒されました。

そして最近、もう一度怒りを探求し直そうと
この虚しさに向き合ってみたところ、
幼い頃の記憶が浮上してきました。

両親は、私が怒るとよく、
それをからかうように
おちょくって見せることが
ありました。

そうすると私が怒り続けることが
できなくなります。

当時は気づかなかったのですが、
両親にそれをされたとき、
私はとても悲しかったようです。

こんなに私が怒っているのに、
それが伝わらない。
とても馬鹿にされたような気持に
なりました。

その記憶はふっとよみがえってきたときに、
私は自分の怒りを取り戻しました。

ビジョンの中で、私は両親に向かって
「やめてよ!私は本当に怒ってるんだ!
馬鹿にするな!!今度やったら、
ぶっ殺す!!!」と全身で叫んでいました。

ちなみに、これ、レナードの激怒の瞑想に
則ってます。笑

良い子になってると言えない台詞ですが、
本当は、怒りはこのくらいの言葉じゃないと
表現しきらないエネルギーなんですよね。

そもそも怒りは凶暴で、理屈や筋なんて
通るようなエネルギーじゃありません。

そう言うエネルギーを表現するために、
神様はこういう言葉も与えてくださったのだ
とレナードは言います。

だから、自分の感情の責任を取るという
意味でこういうワークをするときに
罪悪感を抱く必要はないんですね。

だって、ただ言わなかったり自分で
気づかないふりしてるだけで、
本当は心の中でそう思っている
というのは事実なわけですから。

事実をありのままに認めることで、
自分に嘘をつく苦しさから
自身を解放してあげられます。

とにかく、そうやって私は
自身の怒りをやっと表現できて、
その下にあった悲しみが溢れてきました。

感情を表現することをからかわれて
止めてしまうっていう経験、結構
あるんじゃないでしょうか。

怒り以外にも、悲しくて泣きそうになると
クラスメートとかにはやし立てられて
恥ずかしさにすり替わってしまうとか。

そう言うケースでも、同じように
「うるさい!私は本当に悲しいんだ!
泣くことの何が悪い!今度私が泣くのを
からかったら、お前らぶっ殺す!!!」

とか言って、「泣く権利」を取り戻して
みたらいいんじゃないでしょうか。

どんな感情も、責任を持った方法でなら、
表現される正当な権利があるのです。

感情を表現する力を、取り戻しましょう。
それは、命を生きることそのものです。

私は、感情は命の呼吸だと思っている
のですが、感情を抑圧することは、
命の呼吸を止めるようなものだと
思うのです。

泣くな!怒るな!などと言われることは、
息をするなと言われるのと同じくらい
理不尽なことでしょう。

ただし、意識して呼吸をすると
より深いレベルの生命の神秘に触れる
ように、感情の表現も、無意識ではなく
意識的になされるべきだろうと
私は思います。

いくら感情は表現される権利がある
と言っても、無意識に表現された感情が
いかに人を傷つけ、また自身をも
傷つけるのか、多くの方は経験済み
のはずです。

自身の内に浮上する感情に意識的に
気づいていましょう。そして、それを
表現するときも。意識的でありましょう。

とにかく、こうして私は怒りの表現を
取り戻したのですが、レナードは、
怒りは自身の真のパワーにつながる
きっかけになる、と言います。

だから、怒りにも怒りの大切な役割
があるわけです。

怒りを表現できず、抑圧するとき、
私たちは被害者になってしまいます。

卑屈になったり、無気力になったり
しているときは、必ずどこかに
表現されていない怒りがあるのでしょう。

そして、そういう状態の時、
私たちは例外なく第1チャクラが
うまく使えておらず、問題を抱えています。

第1チャクラは、ご存知の通り
生きることにかかわる根幹のエネルギー
や、グラウンディング(地に足をつけること)
に関連します。

ということは、健全に怒りを表現できないと、
本当に自分らしく生きたり、地に足をつけて
この世界で生きていくことができない
とさえ言えるのではないでしょうか。

怒りに取り組む前に、私は第1チャクラの
活性化をしていたのですが、そうすると
怒りをとても表現しやすくなっている
ことに気づきました。

生きることと怒りは、とても
密接な関連があるようです。

ですから、どうぞ怒りを悪者にしないで、
適切にマスターしていきましょう。

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