常に「加害者」を探している「被害者」で居たい人々

今日はちょっと辛口です。

誰だって普通に考えたら、被害者になんか
なりたくはないはずだと思うのですが、
世の中、案外そうでもないようですね。

被害者になりたい人はいっぱいいる。

そういう人は、いつも何か自分が被害者に
なれそうな状況を探していて、

ということはつまり、加害者になりそうな
人を探しているのです。

で、別にその人のことを傷つけようという
意志なんてそもそも持ってないような人を
捕まえて、

歪んだ認識の下に
「あなたが私を傷つけたのよ!
あなたのせいで私はこんなに不快な思いを
している。どうしてくれるの?
そんなことが許されるとでも思ってるの?」

みたいな言葉を投げつけて逆ギレしたり
(本人は逆ギレとはまるで思ってない)、
相手に罪悪感を抱かせ、そのエネルギーを
奪い取っていくという、

言ってみればたちの悪い「当り屋」
みたいなことをしているのです。

物騒ですねぇ。
おーこわいこわい。

随分前にお問合せのあった方で、
「色々なところに相談に行ったんですけれど、
どこもなんだか嫌な感じだったんですよね。
あなたは私にそんな思いをさせないと
誓ってくれますか?」

とかって言ってきた人があったのですが、
セッションはヒーラーと受ける人の
共同作業で成り立つものです。

それを、全部をヒーラーの責任に
押し付けて自分の責任も取れないような人は、
お引き受けできるような案件ではありませんね。
対象外です。

そんな態度でセッションを受けたのなら、
そりゃぁ誰だってうまくいかないでしょうし、
これまでの先生方がその方の言う
「嫌な感じ」だったのもわかります。

被害者は常に苦しく嫌な感時の中に
いて自分を不幸にしていなければいけません。

そうでないと相手に罪悪感を抱かせて
エネルギーを奪い取れないし、

自分の非に気づいてしまってそれを
認めなければいけなくなるし、

前を向いて歩きださなければ
いけなくなってしまいます。

世界が寄ってたかって自分を不幸に
させているのではないのだとしたら、

今のこの自分の苦しみは一体誰のせい
だというのでしょう?

被害者でいたい人は、頑なに
そこからは目をそらしていたいようです。

なかには、そういう自分のズルさにも
気づいていながら、なかなか
被害者意識から足を洗えない人も
いますね。

単純に、自分が被害者でいることをやめたら、
すべての不幸の責任を負わせていた加害者が
いなくなってしまいますから、

放り投げていた責任を、自分が負わなければ
いけなくなります。

相手はあんなにひどいことを私にしたのに、
そんな理不尽なことが許されるのか?
と思う方もあるでしょうけれど、

感情解放ワークの基本的5つの柱の一つに、

社会的、道義的、法的責任は別として
自身の内に生じた感情については
100%自分で責任を取れる

という項目があります。

最後に「責任を取れる」とありますが、
実際には取らなければいけないのです。

相手がどんなに謝って償いをしたとしても、
それで自分の気持ちが完全に晴れるわけでは
ないでしょう。

自分の気持ちの領域は、そのきっかけが
何であろうと、自分で責任を取るしかないのです。

誰かが自分を幸せにしたり不幸にしたり
ということは、できないことなんですね。

それを誰かにやってもらおうとするから
不健全なねじれた関係性になってしまうのです。

被害者で居続けたい人は、
常にあらゆる場面で加害者を必要とします。

時には、さっきまで蜜月の関係であった
「大切な人」でさえ、次の瞬間には
「私を傷つけた酷い人」にしてしまうことだって
珍しくはありません。

加害者がいないと、ある意味、
自分を保てないような在り方をしている
からです。

何らかの被害者意識のある人
(おそらくほとんどの人が多かれ少なかれ
そうだと思いますが)は、

必ずどこかで自分が引き受けるべき
何かの責任から逃げています。

そんな意識を卒業したければ、
その逃げているものを引き受けなければ
いけません。

それが何かわからない、という方も
多いのでしょうが、

多分、あまりにも当たり前に
「それは自分のせいではない。
あの人のせいだ」と思っていることが、
大前提が確率が高いですね。

社会的常識とか道徳とかがそうした考えを
後押ししていて、

それが当然でしょう?私のどこが間違っているの?
それが違うというのなら、この世には道理も
何もないことになるわ!っていうような
ものだったりもします。

ここで言っているのは、先の基本の柱の一つでも
挙げましたが、道理や社会的常識とかは
別であり、あくまで自分の内側の感情の責任
のことなんですね。

そこを混同してはいけません。

セッションをしていても、人間目線では
「その気持ち、わかるな~」って
共感してしまうようなことも多いのですが、
でもワークで見ていくのは別の視点なのです。

つまり、その人が自分の感情を
自分できちんと受け止め、引き受けているか否か
という一点しかありません。

ここを自分に引き戻していくだけで、
人生はすごく生きやすくなります。

多くの人が心配するように、
その責任の重さに潰れるということはありません。

自由と責任は、表裏のものだからです。

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