自分の国に対して責任を持つという気概

人間、守るものができると、
途端に面構えが変わって頼もしく、
人間的にもぐっと成長するな~
と感じる時があります。

たとえば、
結婚したり、子供ができた時とか、
仕事で責任あるポジションについて、
部下を持った時とか。

人によって、
そういう立場になっても
いつまでもフワフワしている人もいますが、
まぁ一般的に言って、大概の人は
背負うものができると、
腰が据わりますよね。

で、今日お話ししたいのは、
この話の延長線上で、
私的にはすごいことに気づいてしまった!
って思ったことがあったので、
これについて順序立ててお話していきます。

ちょっと長くなってしまったので、
お暇な方だけお付き合いください。

きっかけはFacebookでの友人とのやり取りで、
「国体」という意識についての議論でした。

この国の人々の、国に対する愛着の浅さは
どこから来ているのか、ということについて
色々な観点からの意見があったのですが、
これはすごく面白かったですね。

友人曰く、
「国体を愛する」意識よりも、
「地域を愛する」意識が強い人が多いのでは?
という意見だったのですが、
なるほど、そういう面もあるかもね、
と思った一方、

逆に、地域は愛しても国は愛せない
ということ自体にも何だか
とてつもなく違和感を感じて、
地域愛がどうしてそのまま
国への愛に繋がっていかないのか、
という疑問が起こりました。

私はスピリチュアルヒーラーですので、
様々なものの中にエネルギーを
読み取ります。

地域愛から国へと意識を広げていくときに、
そこに何か重い靄のような、不自然な
エネルギーの断絶を読みとるんですよね。

これは単に、地域は愛しているけれど、
国への意識がそもそもない、
というのとは違う状態です。

何かの理由があって、
国への愛が明らかに邪魔されている状態
だと私は感じます。

そして、エネルギー的にもう少し言うならば、
この国のエネルギーはどこか変なんですよね。
歪んでいるし、人々の意識は、
何か意図的に非常に鈍くさせられていて、
ほぼ眠っているような印象です。

これは、私だけが言っていることではなく、
多分、そう感じている人も少なくない
と思います。

そして、もったりと重たいエネルギーとは別に、
私の感覚で言うと、明らかに呪いのエネルギーが
見て取れるのです。

普段、セッションの中で、
個人レベルでの呪いのエネルギーは
よく見ていますので、

この国を見たときにかかっている
エネルギーの質が、その呪いの質と同じ
であることはわかります。

ただ、規模や深さ、エネルギー量は
桁違いですね。古いものもあるし、
新しいものもあり、重層的です。

話の筋がズレてきたので戻ります。

戦後、日本人のスケールが小粒になった
という話を先日も書きましたが、
これが、国体への意識の話と
繋がってくるのです。

国体という意識が市井の人々にまで
浸透したのは、そう古い歴史があるわけでもなく、
近世以後というのもその通りでしょう。

けれど、その後日本は日清、日露戦争を経て
大日本帝国として西欧と肩を並べるまでに
なりました。

戦争は、否が応でも「国」という意識を
人々に喚起させます。

ましてや、戦前は日韓併合、台湾統治、
満州国など、現在の国土よりも
広い地域が「日本」であり、
そこに住む人は、様々な民族がありつつも、
確かに「日本人」だったのです。

今の日本の感覚で考えると、
理解できないところだと思いますが、
そうしたれっきとした「帝国」であった
日本国の人民に、国体意識が浅かった
とは到底思えないのですよね。

例を挙げるとすると、
朝鮮半島の方(当時は日本人です)でも、
終戦を告げる玉音放送を聞いたときに、

日本は負けたのだ、とものすごくショックで、
全身から力が抜けてしばらく食事も喉を
通らなかった、という話もあるくらいですし、
本土の人間は言うまでもないでしょう。

大東亜戦争は、様々な人の思いを飲み込みながら、
それでも、多くの「日本人」が、この国を
守ろうとして戦ったのだろうと
私は思います。

(中には、この国を潰そうと画策していた
「獅子身中の虫」も居ましたが)

だから、日本軍は強かったのです。
(って書くと、反論が山ほどくるだろうけれど、
それについても、また私の勉強がもっと進んで
書く機会があったら書いてみることにして、
先に進みます)

その日本人が、
ここまで国体への意識が希薄になり、
愛国心も消え失せてしまったのは、
何故なのでしょうか。

日露戦争の、白人相手に、「劣等民族」
であるはずの日本人が勝ってしまった
という衝撃と、

大東亜戦争で見せた日本人の勇敢さ、精神性を
実際に戦った相手は骨身にしみて知り、
恐れたでしょう。

そういう戦勝国が、敗戦国となった日本に対して
どういう占領政策をとるか、という視点一つとっても
見えてくるものはありそうですよね。

その最たるものが、現在に至るまで議論の続く
憲法第9条の問題です。

日本は建前上、軍隊を持ちません。

自分の国を、自分たちの力で守ることが
できないようになっている、
というこの憲法の条文が、

実は想像以上に私たち日本人の在り方を
歪めている元凶なんじゃないか、
ということに気づいてしまったのです。

自分の国に責任を持てない在り様の歪みが、
国民一人一人の意識を深いレベルで縛り、
気概や健全な自立心を腐らせているのではないか。

断っておきますが、
私は戦争推進者ではありませんよ。
戦争は嫌ですし、絶対に反対です。

けれど、戦争をすることと、
自分の国をどうやって守っていこうか、
という気概を持つことは、別だと思います。

そして、もう一つ、
私は改憲論者でも護憲派でもありません。
まだそこまで、何か言える考えを持つまでに
至っていないからです。

ただ、これから日本という国の在り方を
問うていく上で、この問題は、
避けては通れないだろうな、という
認識を持ちました。

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