人は、苦しい状態は嫌いなはず、
というのは、ある面で正しく、
別の側面から言うと、そうでもない
としばしば思います。
マゾという性癖はここではさておき、
苦しい状態でないと落ち着かない
という人も、確かにいるわけです。
それには、様々な理由がありますが、
1つは、サバイバルな環境で生きてきた人は、
アドレナリン中毒になっていて、
そういう状態でいることで、
自分が生きていることを実感する
という人もあるし、
また苦しみに溺れることで、
本当は向き合わなければいけない何かから
逃げているというケースもあります。
本当はやらなくてはいけないことが
あるのだけれど、別のことに忙しくして
逃げているのと同じような構図です。
ここでは後者のケースを取り上げて
みたいと思いますが、
このような人が苦しみがない状態になると、
途端に向き合わなければいけないことが
目の前に在ることに気づいてしまいます。
それはとても都合が悪いわけですね。
だからすぐに別の苦しみを生み出して、
向き合わなくて済むようにしてしまいます。
今苦しいからできない、と思っても、
苦しみが去っても結局別のことに
意識が向いてやらないのです。
逃げ込むものは様々な種類があるけれど、
快楽に溺れる人もいるのと同様に、
苦しみに溺れる人もあるわけですね。
人の心に取り組んできてしみじみ思うのは、
逃避のバリエーションの豊富さと、
何としても逃げたいという思いの強さへの
驚きです。
逃げ道を塞いでも塞いでも、
本人が絶対に逃げるのだ!と決めていたら、
誰がどうしようと、何ともなりません。
そもそも、
ヒーリングは外部から強要できるものではなく、
本人の意思があって初めて効力を発揮
するものです。
だから、あなたはどうするのか?
と自身の在り様を自分で決めていただくことを
繰り返し重ねていくわけです。
このときに、しばしばやってしまいがちなのが、
逃げる自分を頭でねじ伏せ、どうにかしようと
自分と戦ってしまうことです。
こうなると、分離、断絶の溝が深くなり、
ロックがかかってしまいます。
だから自分と戦ってはいけない、
逃げようとするその理由に寄り添い、
声を聞くことが大事だとお伝えするのですが、
何度お伝えしても、問答無用で
逃げる自分を切り捨てて
その上から理想の自分をきれいに
整えようとする人、多いです。
ご自身のワークがそうなっていないか、
よくよく振り返ってみてくださいね。
自分を信用できないという人が
よくいますが、大抵はこういうことを
やっています。
自分を切り捨て、ねじ伏せようとするような
存在を、どうして信用できるように
なるでしょう。
癒しというのは、
その在り方自体に気づき、
転換していくことから起こっていくわけで、
表面的に苦しいのが楽になればいい、
というような捉え方では楽にはなりません。
苦しみの原因がどこから来ているのか、
自分自身と膝突き合わせて対話する姿勢が
必須です。
本当に癒しを必要とする苦しみに
対峙するのではなく、逃避として
苦しみに溺れていくときの隠れ蓑は、
よくよく見ないと見極めが難しいですが、
苦しむことに逃げていると指摘されて
腑に落ちるものがあるならば、
次は本当に逃げているものに対峙できるか
と自分に問うてみることです。
ここに心底、Yesと言えるなら、
複雑に入り組んだフェイクショウから
抜け出す可能性はあるでしょう。