私はどれだけ自分自身を丸ごと
受け止められているだろう、と
我が身を振り返る時があります。
日々の感情については
そこそこ受け止められているかな、
とは思うのですが、
深く、自身の内なる力については
まだまだきちんと対峙しきれていないな、
という感覚がありました。
セッションや瞑想会などで、
みなさんのエネルギーを拝見するのですが、
その方の奥深くから、スケールの大きな力が
立ち上がっているのを感じることがあります。
ご本人はまだその段階では
自覚がないケースが多いのですが、
うまくそのエネルギーを受け止めて
シフトしていけるといいな、と願いつつ、
様々なアドバイスやメッセージを
お伝えしています。
真っすぐに自分を受け止めるというのも、
感情レベルだけではなく、
自分の人生、可能性、力などなど、
様々なレベルがあります。
自分の何が受け入れ難いのか、
結構そういうところに人生のテーマが
あるものですが、
そこがクリアできると、
その人の魂は一段二段、器が深く大きくなり、
表現できる可能性も大きくなります。
自分に向き合うというのも、
何に対峙しているのかがわかっていないような
向き合い方をしている方もしばしば
見かけます。
意識のフォーカスの仕方の問題も
あると思うのですが、何となくぼんやり
考えているだけでは、深まりません。
今の自分の限界のエッジを
しっかり捉えるように。
それに向き合ったときの圧に負けて、
意識がつるりと逃げていく方が多いです。
そこに留まって、どうできるのか、
なんですよね。
けれど、
そもそも限界の圧を感じるところまで
触れられていない、そのずっと手前で
引き返しているか固まっていたりします。
深めていくには最低限、
限界に対峙して呼吸を止めずに
踏みとどまれるところがスタートです。
そのために、ある程度の意識密度が
必要なんですね。
わかったつもりの気合いとか勢いで
どうにかなるものではありません。
深まるほどに、
取り繕ったところが炙り出され、
もたなくなっていきます。
だから、本当の自分でないと通用しません。
私たちは、しばしば自分の無力さに
打ちひしがれることがあるけれど、
それでもなお、私たちの奥深くには、
この自分を通して表現されることを待っている
大きな力があります。
自分がそれに、
本当に対峙しきれているのかどうか。
頭だけで、自分は準備万端なのに!
と言ったところで、まだそれが現れていない
のであれば、準備はできていないのです。
本当に対峙できていたら、
自分でわかるはずですからね。
明後日の方を見て、
対話できているつもりになっているのでしょう。
無言の対峙の中で、
自分がこの力を受け止めるに足る
状態にあるのかどうか。
じっと感じています。
それは、何を?とか、どうやって?
とかではなく、根本的な在り方を問われる
逃げ場のないやり取りです。
その問いに、今の自分が様々に映ります。
その姿が、何を?どうやって?
の答えになるんですね。
わかる人には、ヒントになるかもしれません。