人生は、時に非常に厳しい試練を
私たちに課すことがあります。
こう言うと、
すごく恐がる人があるのですが、
それは厳しいほどに、私たちの
根深いところにある「悪い癖」を
ゴリゴリ削って、
強制的にシフトアップさせる
愛の鞭なのです。
本当は、優しい声かけで
私たち自身が在り方を修正できれば
それに越したことはないのですが、
根深いものというのは
なかなかに気づきにくいし、
根本的に変えて行くというのが
難しいんですね。
ちょっとやそっとじゃ気づかない、
わかっても変えられないし、
真に受けないと来たら、
呼びかけが強くなるしかない、
ということです。
そういうお知らせが積もりに積もって、
人生のある時期にいっぺんにやってくる
こともあるし、
割と普段から気を付けていて、
ちまちま修正できている人でも、
うわ、そこは気づかなかったわ!
というのがガツン!!と来ることも
あります。
まぁ、苦しいし辛いことではありますが、
それが起こったから人生終わり
というわけではないし、
人生に愛があって、
見捨てられていないからこその
その状況なのです。
だから、絶望に飲み込まれて
閉じこもるのではなく、
差し出されていることは何なのか、
真摯に問うてみることです。
厳しいお知らせは、
最初からは来ません。
何度も何度も、お知らせをスルー
してしまったんですね。
振り返ってみれば、色々な人から
耳に痛い忠告を何度も受けていたな、とか
同じパターンの出来事を繰り返している
というのは紛れもなくそれで、
改めるチャンスは何度も来ていたのです。
リーディングをしていても、
そのテーマは、別の人生でも何度も
繰り返してきていますよね、
というケースはよくあります。
あいつはいっぺんしななきゃ治らない
とか言いますが、しんだだけでは
そう簡単に治りません。
何せ、
時代も国も性別も身分も違う人生を
いくつも生きてさえ、繰り返している
わけですから。
そのくらい、馴染み過ぎていて
骨身に沁みてアイデンティティの一部
になっているような要素ですから、
何となく向き合っていれば
どうにかなるでしょ、くらいの感じでは
はっきり言うと、変えるのは無理です。
ものすごく肚を括って、
一番恐れていて味わいたくない
苦しいところを引き受けていく
意識が無いと、触れることさえ
できません。
多くの人は、その段階に至っても
自分が向き合おうとしているものの
本質を理解しません。
リフォーム程度で済むもの、
と思っているのですが、
本当は基礎工事からやらないといけない
くらいのものだったりします。
セッションでもしばしば
そういうレベルのテーマにぶち当たっている
方のサポートをさせていただきますが、
まずはその辺りの認識のすり合わせから
しないと、全然そのレベルの深さまで
かすりもしない、ということが
あったりします。
たとえて言うと、
富士山に登るのにそこら辺の裏山に
登るくらいの認識で、
でも本当は本人のその望みを実現しよう
と思うならば、富士登山レベルの実力が要る。
今、裏山を登るようなことを
繰り返しているのは、
本丸の富士山を登るためのトレーニング、
というような感じです。
最初からその段階を認識して
裏山トレーニングをする人もいれば、
裏山を軽く登れるようになって
よしよし、と思っている内に、
何だか遠くに富士山の影が見えてきた。
あれ、ひょっとして自分が本当に
目指さなきゃいけないのはあれだった?
と気づいていく、というような人も
あります。
歩み方、気づき方はそれぞれで、
どれがいいとか悪いとかではなく、
ただ、自分の道に真摯に向き合っていたら、
必然的に遅かれ早かれ気づくことだよね、
ということではあります。
特に、なかなかに変えがたいもの
というテーマを挙げるとすると、
被害者意識があります。
これについてはまた稿を改めて
書いてみようと思います。