「ビジョン」と「ギフト」について

今週の無料遠隔ヒーリングのテーマは
「自分がこの世界にやってきた目的を果たす」
というものでしたが、

今、私はこれを果たすとちゃんと決められているかな、と
思う事がありました。

誰かにメッセージをお伝えしていると、しばしばそれが
自分自身にも当てはまることに気づくことがあります。

この時期、自身が本当にやろうと思って決めてきたことを
思い出すように、そしてそれを思い切りやるように、
と励ますメッセージをお伝えすることが、これまで以上に
多くなってきています。

自分自身を制限する思い込みをたくさん持って、
その中で委縮してしまって本来の限りないパワーを
忘れてしまっている方たちに、スピリットガイドさんたちは
しきりに「本来のパワーを思い出して!」と促しています。

えぇ、もう時代は本番に入ってきていますから、
長々と下積み、準備をする時期は終わりつつあるのです。

ここからは、みんなが獅子奮迅の働きをして、
思い切り活躍していく!

そんなファンファーレが鳴っているのが聞こえてくるような
(幻聴!?笑)、浮足立った気配があちこちで感じられる
今日この頃です。

そんな時代を私たちの多くは首を長くして待ち望んで
いたはずなのですが、待ちすぎて眠りこけ、自分が何をしに
ここに来ているのか、すっかり忘れてしまっていたりもします。

徐々に自身の内外からの呼びかけを受け取って
気づき始めている方たちもいますが、

中には、そうしたサインの一切に対して、
受け取り拒否をしている方もあります。
もちろん、自覚は無いでしょうけれど。

受け取り拒否をされている方は、自身の魂の目的を
実践することについて、魂の歴史のどこかでとても傷ついた
経験を持っていることがよくあります。

たとえば、自分の能力を使うことでひどく迫害を受けたとか、
誰かを傷つけてしまったとか、その力故に過酷な人生を
送ったとか、まぁ色々です。

古い魂で、その力についての経験をたくさん積んでいるほど、
プラスの蓄積もありますが、負の蓄積も同じくらいあったりするので、

悩ましいことに力はその存在にとって、ギフトでもあるのと同時に
苦しみの元であったりするのです。

そういう方が力をこの世界でふるっていこうとしたとき、
どうしても痛みの記憶が浮上してきて、思うように使えない、
ということがあります。

痛み故に「もう二度とこんな力なんて使うものか!」って
固く誓っていたりして、それが封印となってそんな力なんて
持っていたことすら、記憶からすっかり抜け落ちている方も
実は少なくないのです。

存分に力を使っていくためには、まずその痛みに対処することが
必要だったりするのですね。

力を封印している自覚がある場合はまだいいのですが、
封印がきつすぎてさっぱり自覚がない方の場合はちょっと厄介です。

スピリットガイドさんたちは一生懸命、ありとあらゆる方法で
コンタクトを試みて、メッセージを伝えようとします。

普通じゃ考えられないようなちょっと変わったことや、
自分ではどうにもならないような状況を体験させることで
固く閉ざした耳に何とかメッセージを届けようと、
それはそれは涙ぐましい努力をされているんですよ。

彼らがそれほどまでに努力しなければいけないのには
理由があります。

このブログでもこれまでしばしば書いてきているように、人は
「知りたくないもの、気づきたくないこと、見たくないもの」は、
どうやっても「分からないし気づけないし見えない」のです。

分かっていてやらないのはバツが悪いので、「見えなかった、
分からなかった」ことにするんですね。

力を使うことにも痛みはあるかもしれませんが、力を封印して
生きるのも、ものすごく辛い生き方ではあります。

まぁ選択ですけれどね。

この時代に生まれてきている方は、潜在的にとてもパワフルな
力を持っている方がとても多いと私は感じています。

それ故か、自分自身の力を恐れている方も少なくありません。

力によって辛い思いをした魂は、力を安全に使いこなしていく
在り方を学ばなければならないでしょう。

けれどそうした諸々も、本人が決めればサポートが
わんさかやって来ますから、心配には及びません。

ただ、本人の意志だけが問題なのです。

厚い封印の奥にじっと心を澄ませて、自身の心に
「この封印を開けて、再び力を使って生きることを選ぶかどうか」
と問うてみることです。

このまま行くのも一つの道であり、封印を解くのもまた道です。

けれど、それぞれに、それぞれの結果がついてきます。

あなたの持っている力は、この世界にとってもギフトなのです。

そのギフトを待っている数多の存在があり、もしあなたが
自身の力を使わず過ごすのなら、彼らが受け取れるはずだった
ギフトもまた消えるのだということは、どこかで覚えておいて下さい。

自身のビジョンを生きないのなら、死んだも同じ

あるネイティブアメリカンの生涯を記した
グランドファーザー」(徳間書店刊)
の中に出てくる言葉です。

「ビジョン」というのは、この場合は使命という言葉に
近いかなと思います。

さて、私は今、自身のビジョンを生きているだろうか。
わが身を顧みながら、この言葉をかみしめてみます。

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