自分にせよ他者に対してにせよ、
向き合う姿勢について、
常々思っていることを少し
書いてみようと思います。
以下に描くことは私自身も
もれなくその中に入ることでは
あること、先に宣言しておきます。
ワークの実践者のみなさんは、
私が実際に接する限り、本当に真面目に
取り組んでいらっしゃるな、という
印象なのですが、
向き合っているつもりで、
実はあまり向き合えていない、
ということがしばしば散見されます。
どういうことかというと、
見ているつもりで、意識が明後日の方向に
向いていて、見るべきところが
見えていないとか、
向き合うことにチャレンジはしている
のだけれど、あるところ以上に
掘り下げていくことができないとか、
確かに意識は向けたけれど、
きちんと触れないままに何となく
きれいな理屈で丸め込んで
収めてしまっているとか。
ご本人も、全く向き合っていない
わけではないし、逃げずに向き合う意義は
わかっているのでそうしようとは
思っているわけですが、
では実際、正味どれだけそれが
できただろうか、深まっただろうか、
というところには手応えをそれほど
感じていなかったりします。
その状態でもそこそこ幸せで
それなりにご本人が満足しているのなら
それはそれで良いのでしょうが、
ご本人がそれでは嫌だ、
というのであれば、その状態に
甘んじているのはもったいないですね。
ここを進めて行くには、
本人の中にどれだけそこに甘んじている
ことへの危機感があるか、
その先に行く必要性がどれだけ
感じられているか、が結構大事です。
ここをクリアしないともう後がない!
とお尻に火がついていたら、
のんびりしてなどいられませんからね。
向き合っているつもりで
向き合えていない、ということに
厳格に気づく感性と、正直にその自分に
取り組める行動力が不可欠です。
良い人でいたいという思いが強い人ほど、
できていない自分を隠し、目を逸らします。
できていない自分など、
在ってはならないなので、
指摘されるとものすごく委縮し、
自分を責め、消し去ろうと躍起になります。
その行動自体が自分の真実から
遠ざかる行為であり、そもそも、
その人にとっての理想から遠ざかる行為
であるにもかかわらず、それに必死で
気づきません。
真面目な人ほど、
この傾向が強いような気がします。
理想とは違う自分に恥を感じるとき、
自分自身から離れています。
その恥の落ち着かない感覚から
離れずに、統合していくように。
ここができないと、
いつまでもやっているつもりで
できていない自分を引きずり続けます。
できていない自分を消すために
エネルギーを使うのではなく、
そのエネルギーを真に統合のための
エネルギーに使うように。
自分の意識がどのタイミング、
どの場面でどのようにフォーカスが
外れてしまうのか、気づけるように。
そこがわかるような
意識の使い方ができるようになったら、
自分でかなり深いところまで
掘り下げていく力がついて行きます。
正味どれだけ統合できたのかが
ワークの実績のすべてです。
やっているつもり、でお茶を濁す自分から
卒業していかれますように。