命を懸けて道を求める人々

サロンにご縁のある方は、
霊性の道に関心のある方や
実践されている方も多く
いらっしゃいます。

そういう方たちに触れて
何となく感じるのは、
修行者の集合意識みたいなものが
あるような気がしています。

そういう方たちは、大抵魂に
いくつもの修行されてきた人生の記憶が
あったりもして、

昨日今日のこの道への関心というよりは、
長いことこの道を歩み続けてこられた、
どこか筋金入り、といった風を感じることも
しばしばあります。

たとえ今、立場的には一介の主婦であったり
会社員、経営者など全くそういうのとは
関係がないように見えて、

掘り下げていくと、
切なる願いをもって道を求め続けてきた
ストーリーが出てきたりします。

そういう深い深い切望、誓願に触れると、
私の魂の奥にも、じ~んと響くものを
感じます。

どれだけ遠く、はるかな道を、
求めに求め続けてきたのだろう。

その歩みに込められた思いに、
何とも言えない気持ちになるのです。

そうした長い旅路を辿って今、
再び神に交える時を迎えたりするわけですが、

一方で、その旅路の中でしみ込んだ
ある種の概念にとらわれている様子も
見て取ることがあります。

それは独特の癖と言うか、
特有のマインドのフィールドを形成していて、
それが本当に求めているものに触れることの
妨げになっているような面もあるように
見えます。

まぁ、私ごときがそんなことを
言えるような立場ではないのですが、

ただ、そうしたマインドのフィールドに
囚われているとき、その人は
ハートの導きに触れているだろうかと問うと、
やはりそれは触れていないように見えるのです。

わかる人にはわかると思うのですが、
命を懸けて道を求める修行者と言うのは、
通常一般の社会通念の外側の文脈で
生きています。

だから、一般の常識とか世界観とかでは
その人の人生を計ることはできません。

だからこそ、その人の魂にとって
その在り方はどうなのか、というのを
見る必要があるわけですが、

すべてではないかもしれないけれど、
やはりハートの導きとの分離を
感じることがあるんですね。

言ってみれば、
自分の思い込んだ道に、
導きのあらゆる呼びかけすら断ち切って
命を懸けて突っ込んでいく、
みたいに見えるケースもあったりします。

命を懸けられる何かに夢中になれる
というのは、ある意味幸せなこと
なんだろうと思うし、そういう人生を
求める人は、結構多いです。

どこか、しに場所を求めているような
ところも感じるのですが、
ただ、もしそうだとしたら、
私はそれには違和感を感じざるを得ません。

終わりに向かって突っ込んでいくのは、
ある面で、簡単なのです。

他の難しいことを考えないで済みますし、
夢中になる感覚は、とても心地良いです。

けれど、すべてを断ち切ってそこに突っ込む
覚悟ができたら、卒業が許されるのか、
というと、そう簡単ではないのではないかな、
という気がしています。

むしろ、断ち切ってきたものを
きちんとマスターし、完了させるように
差し戻してくるのではないか、
と感じるのです。

あくまでこれは私の個人的感覚なので、
実際はそうではないのかもしれません。

ただ、その覚悟の中に、
逃避の要素がないかどうか。

よくよく精査する必要があるような気がします。

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