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さて。
明日がある、
と思うから救われることもあるけれど、
明日があるからこそ
辛いこともあるな、
と考えることがあります。
私に今この瞬間にいること、
プレゼンスを教えてくれたのは
レナード・ジェイコブソンでしたが、
彼は
今この瞬間しかないのだ
と言います。
けれど、私にはそんなことは到底
信じられませんでした。
過去形で書いていますが、
白状すれば、今もまだその感覚が
私のデフォルトです。
ただ、何かに対して肚を決めるとき、
過去や未来を思い煩わなくていい
状態になり、それがとても楽だと
感じられることがあります。
私の魂にとってそれは
馴染み深い感覚でもあり、
体を流れるエネルギーの質が
切り替わるような感じがします。
レナードが言う、これが
人生の別の次元を生きている状態
なのかもしれません。
私たちはどこまでも、
過去や未来を思い煩うように
教育され、プログラムされてきている
ような気がします。
けれど、日本文化の根底にあるものは
プレゼンスであり、私たちにはその感覚が
共通のコンセンサスとしてある文化圏に
生きていると思います。
今は大分教育によってその感覚が
切り替えられてしまっているようでも
ありますが、血の中に刻まれたものが、
そう簡単に消えるはずはありません。
だからこそ、より周到に眠るように
プログラムされ続けているのかも
しれませんね。
私の勝手な妄想です。笑
レナードにプレゼンスを教えられたとき、
私にはその感覚がさっぱりわかりませんでした。
ただ、今になって、
過去も未来もなく肚を決める、
と思ったときに、しっくりとその感覚が
自分の中に収まることに気づきました。
そして、
内側から力が湧いてくるのです。
佐賀藩の武士の教訓書「葉隠」には、
「武士道とはしぬことと見つけたり」
という有名な言葉がありますが、
生きることは
しぬことと裏表であるにもかかわらず、
現代社会はその一方を隠してしまったが故に、
生きることの本質が失われてしまった
ように思います。
その両方に対峙するからこそ
豊かであった人生が、片方に執着した途端に
輝きを失い、別の次元に堕ちてしまった。
そんな風に私は感じるのです。
天国は、「ここ」にある。
私にとってここが地上天国なのだ、と
レナードはよく言いました。
浄土は、どこか別のところにあるのでは
ないのです。
永遠の命に執着して
永遠を失ったようなもので、
何とも言えないパラドックスです。
目の前の今を否定し、抵抗する限り、
私たちは今この瞬間を生きることが
できません。
向上心は良いことだと言われますが、
微妙に、今に抵抗する意識を
掻き立てる側面もあるように思います。
今を受け入れ、無心で積み重ねるなら
良いのでしょうが。。。
意識高い系がもてはやされる昨今、
それもまた一つのトラップかもしれません。
何だか取り留めなくなってしまいましたが、
明日はない。と肚を決めて
今日を生きることにします。