他者の苦しみに気づくことの恩寵
思うに、ご先祖様に向き合えないということは、自分自身に向き合えないこととイコールです。本当に自分に深く深く向き合っていったら、どうやっても概
思うに、ご先祖様に向き合えないということは、自分自身に向き合えないこととイコールです。本当に自分に深く深く向き合っていったら、どうやっても概
恩寵は、努力すれば必ずやって来るものではなく、かといって、全く努力なくやって来るものでもないようです。ただ、謙虚に自分という個我を越えた何も
もうこれ以上何もないからこそ、なみなみと満たされるものがやってくることもあります。もう本当に自分ではどうにもできないからこそ、自分を超えた力
うまくいかなかったことは、その人自身の在り方の修正を求めるサインです。しっかり受け止めて、気づきを得て方向転換して行くべきポイントを教えてく
悲しみも喜びも、怒りも憎しみも、喪失感も幸福感も、みな同じ人生の一部です。それらは切り離して在ることはできません。だからどうぞ、自身が体験す
悲劇は、誰か一人のせいで起こるわけではありません。そこに関わったすべての人が、みなちょっとずつ自分の弱さから逃げたがゆえに大きな痛みをもたら
あまりにも心が疲れ果ててしまっているとき、なかなか感謝の気持ちにはなれないかもしれませんが、そんなときこそ、こんな状態でも変わることなく与え
「私は持っている。得たのだ」と思っていたものは、実は最初から持ってはいなかったし、得てはいなかったのだと思います。元々なかったものを「ある」
自分の幸せの在り様は、自分で見つけるしかありません。そして、その幸せを感じる自分を、絶対的に疑ってはならないのです。自分がおかしいのではない
艶やかな花を咲かせ、たわわな実を成らせるには暗くて冷たく、硬い土に向ってひたすら根を伸ばしていく時期が必要です。積むこと、継続することが苦手