自分の人生を祝福して死ぬ
その自分にできる精一杯のことをして意識が肉体を離れるその瞬間に、自分の人生を少しでも祝福できるようになって死ぬべきだ、と思うのです。少なくと
その自分にできる精一杯のことをして意識が肉体を離れるその瞬間に、自分の人生を少しでも祝福できるようになって死ぬべきだ、と思うのです。少なくと
わがままも、ただ駄々をこねるのではなく、わがままを貫き通すために生じるリスクを自分で負うことができるなら、一本筋が通ってていいんじゃないの?
自分の力を放棄している人も、自分で自分の開き方を忘れていることが多い気がします。端から自分にはそんな力はないので、誰かがやってくれるものだと
エネルギー的なしこりができるのは、大体言い訳してるときとか、自分の正しさに固執して、差し出されたメッセージに対して心を開いてない時ですね。気
誰かを責め続けること、自分が被害者である方が、実は都合が良いというケースも良くあります。見たくないものを見ないで済むし、自分を幸せにする努力
人間としてこの世界で様々な人たちと出会って、ときに親愛の情を育み、切磋琢磨し、蜜月を過ごし、また時には被害者加害者として人生のある時期を共に
人としての在り方が素晴らしい人って、どこかすっとした清々しさがありますね。オーラがクリアで、ごちゃごちゃしてない。ベンチの後ろにお弁当の殻を
今日は、最近自分に起こったことからの気づきについての徒然です。自分に向き合い、観察していると、自分ってもうちょっとマシな人間だと思
まさに魂がバラバラになってしまうのではないかと思うような苦しみに我を見失わんばかりになっている私の、もっとも深い可能性を見つめ続けているその
ずっとずっと、誰かや何かに駆り立てられながら、心を亡くして必死で生きてきたこれまでを振り返って、もうそういう生き方をやめてもいいかな、という